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ローラースケートめあてに、あらかわ遊園まで
荒川自然公園の白詰草の広場はすぐに気に入った。小学三年生くらいだったと思う。学校の遠足だった。
いつもバスで行く遠い場所とは違い、荒川自然公園は近い。子どもの足では歩いて行けないけれど、都電で行けばすぐだ。都電は活動範囲の三ノ輪のイトーヨーカドーの近くに駅がある。そこから都電に乗っていけば、荒川自然公園前に着く。
それからと言うもの、友達と誘い合って荒川自然公園に行くようになった。しかししばらくすると、白詰草を摘み過ぎたのかだんだんと花が少なくなり、花冠を作れなくなってきた。
フィールドアスレチックもあるし、大きな池もあって、他にも楽しいところはあるのだけど、それも飽きてくる。
刺激が欲しくなる。
「あらかわ遊園に行ってみよう」
いつしか友達とそんな話をするようになった。
あらかわ遊園も行ったことがある。
その時は大人と一緒だった。
夏はプールになる場所で、夏以外はローラースケートが出来た。スケート靴も貸してくれる。
他に、動物園があって、うさぎに触れたし、やっぱり大きな池もあった。池って何で見てるだけでもあんなに楽しいんだろう。
とても遠いけど、都電に乗っていけば荒川自然公園と大して変わらない。都電は均一料金だし、あらかわ遊園は都電の駅前にある。
後は大人に許しをもらうだけだけど、許しをもらう必要ってある?
三ノ輪に行くのにも、荒川自然公園に行くのにも、白鬚橋の交通公園に行くのにも、許可を取ったことはない。
でも、ローラースケートをするのにお金がかかる。
お小遣い貰わないと、都電に乗ってローラースケートをするのに普段のお金じゃ足りない。
結局親に言うことにして、子どもだけで行くことに難色を示した家の子は断念した。
許しを貰った子は、私も入れて三人か、四人だったかな。
スケート靴を借りるお金、ローラースケートをやるお金、往復の都電代、ぎりぎりのお金を持って意気揚々と三ノ輪に向かったのだった。
あらかわ遊園はとても楽しかった。
ローラースケートはもちろん楽しかったし、後先考えず動物園でウサギと遊び、ジュースも飲んだし、観覧車に乗った子も居た。
そうすると帰る頃には大問題が起きる。
そう、帰りの電車賃がないのだ。
だが心配は要らない。
道のりは確かに遠く、五キロ以上あるのだが、都電は路面電車だ。
つまり都電に沿って歩いて行けば、道がわからなくても三ノ輪橋まで着けるという寸法だ。
実はローラースケートが終わった後、みんなでそんな話をしていたのだ。
「歩いて帰れるんじゃない?」
「歩けば、あれも出来る!」
何しろ滅多に来れないところだから遊び尽くしたかった。
私たちはてくてく線路に沿って歩き始めた。線路はまっすぐ続き、見覚えのある駅名に、方角は間違っていないようだと胸をなで下ろして歩き続けた。
夕暮れが迫っていた。
一日遊び倒したので足は疲れていたけれど、みんなであれやこれや今日のことを楽しく話しながらだから、ちっともつらくはなかった。
町屋に着く。
荒川区町屋は繁華街だ。今までとは違う町並みにきょろきょろしながら、先に進もうとしたが、町屋の駅を過ぎると、線路が突然家と家の間に埋没した。
都電荒川線は、都電で唯一残された路線だ。残された理由より、他の路線が廃線された理由を書こう。
モータリゼーションの進展により、交通渋滞が起きるようになって、東京では路面電車が邪魔になったのだ。私が生まれるより前に都電は荒川線以外すべて廃線になっていた。
都電荒川線は、路面を走る場所が少なかった。そのため残されたのだった。荒川区の住民にとって大切な足だったのも理由としてあるのだろう。
町屋からあらかわ遊園までは路面を走っていたが、三ノ輪橋から町屋までは専用線だったのだ。
これでは線路沿いを歩けない。
荒川自然公園のある荒川二丁目まではなんとなくの地理を知っていたので、専用線でも帰れる自信はあった。区役所の方にまっすぐ行けば、区役所の前は明治通りで、明治通りまで行けば三ノ輪には着ける。あとは土手通りをまっすぐ行くだけだ。
しかし町屋から荒川二丁目までの道は、行きにぼんやり見ていただけだからあまり自信はない。
「あっちだよね」
高架に見覚えがあったので、みんなそれに同意した。それは京成線の高架だが、荒川自然公園から見えた。多分高架に沿って行けば、荒川自然公園までは着くはずだ。その先は荒川区役所まではわかる。そうしたら明治通りで、三ノ輪で、家だ。
高架沿いの道は暮れゆく景色の中で陰鬱に沈んでいた。
「そう言えば親戚のおじさんが死んだとき町屋に来た」
と男の子が言った。
「何で」
「火葬場があるんだよ。知らないの?」
町屋サイジョウの名は聞いたことがある。
「死んだ人が居るってこと?」
「いるよ、いっぱいいるよ」
黒と白の幕が頭の中にちらついた。祭壇に、黒枠の写真。
子ども心にも葬式は不吉で、なるべく見ないようにして、親指を隠して走って過ぎ去っていた。
「それどこ?」
「高架の下のどこか。この辺だったよ」
今にも、高架下の隙間から、幽霊がぞろぞろと出てきそうな気がした。道路の向こう側から霊柩車が迫ってくる気もした。目を閉じて、親指を隠した。
「多分、ここー!」
その声に、もう走るしかなかった。
みんな走った。息が切れるまで。火がごうごうと燃えて、死んだ人を焼く様子がまざまざと頭に浮かんだ。泣きそうだった。
走り疲れて前を見ると、荒川自然公園に上る入り口が見えた。
すっかり日が暮れて、夜になっていた。
あの後も何度もあらかわ遊園には行ったが、二度と帰りの都電代まで使い込むことはなかった。
そしてあの後、町屋のあたりに着くと、胸がきゅっとなって、親指を隠すようになった。
後に知ったところによると、親指を隠すのは、親を連れて行かれないおまじないらしい。