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そのへんのOLのカジュアルお遍路のすすめ 10 折り返し編(愛媛④)

四国はどこも美味しくて気に入ったのだが、知り合いに「一カ所だけ選ぶならどこがおすすめ?」と訊かれたら、松山と答えると思う。

さすが名の通った観光地。
観光客として、楽しいし美味しいし、お土産も満載だ。


12日目 松山

第45番 岩屋寺

四国お遍路の道は宇和島からは久万高原を抜けて松山に入る。
久万高原行きのバスは2時間に1本程度出ているのでそれに乗っていけば着くのだが、岩屋寺までのバスがうまく接続しない。1日で久万高原にある2つのお寺を回ろうとするなら、朝一のバスに乗らなくては間に合わない計算だ。
道後温泉からだと大街道が最寄りバス停になる。

私は観光も半振りしていたので道後温泉に宿を取ったが、お遍路メインだったら大街道に宿を取る方がいいかもしれない。

大街道にはバス停がたくさんあるのでわかりにくいが、お城側、交番の隣、ローソンのあるバスターミナル前が乗り場だ。

久万高原線を含むフリーパスが何種類か出ているので、旅程に合ったフリーパスを使おう。日帰りするので正規料金を払うのはもったいない。
久万高原までのバスは片道1280円だが久万高原線の1日フリーきっぷは1200円だ。

……?
何かのバグ?

調べてみると、どうも久万高原線一日乗り放題きっぷは期間限定発売のようで、2025年4月以降の発売はわからない。

そのほか、JR四国の出す電車のフリー切符には久万高原線もついてくることが多い。

岩屋寺までは久万高原線で久万中学校前まで行き、そこから伊予鉄南予バスに乗り換える。
乗り場はすぐ目の前だ。
中学校前と言っても中学校の校門前に着くわけではなく、伊予鉄バスの営業所前に着く。伊予鉄バス営業所前という停留所名にしてくれれば不安に思う人も減るだろうが、他社の名を冠した停留所名は付けられないということか。

乗り継ぎは非常によい。コンビニもあるので飲み物などを買い足して、待つことしばしで伊予鉄面河線がやってくる。

15分ほどで岩屋寺に着く。

車遍路の人に聞いたことがあるが、この岩屋寺が忘れられないと言っていた。
駐車場から急な山道をかなり上がるのだ。
バス停はさらに下なので、いつ着くのか不安になるほど登っていく。
五色台や三角寺、横峰寺に比べたら大したことないけども!

車の人だとここはかなりの難所に数えられるようだ。

岩屋寺の本堂は名にふさわしく岩屋が覆いかぶさっている。ちょっと怖い。

けっこう高いところにお寺がある。
山のお寺は霧が似合う。

第44番 大寶寺

大寶寺はさきほどバスを乗り換えた久万中学校前停留所の近くにある。歩いて20分くらいかな。
そこまで戻らなければならないのだが。岩屋寺前バス停は吹きっさらしで待つのに適していなかったので、古岩屋まで歩いた。
古岩屋のバス停は国民宿舎の前にあり、休憩所になっており、トイレもベンチも屋根もある。

ただ途中トンネルが一つあるので、そこを歩くのが少し怖い。

大寶寺も高いところにあるが、岩屋寺よりは上るのが楽だ。
徒歩だと遍路道を上ることになる。
舗装はされていないが雑草もなく歩きやすい。

岩屋寺でちょうど半分、大寶寺で折り返した。

門前にはおくま饅頭という名物の饅頭が売っていた。
写真ではお餅のようにも見えるが、薄皮饅頭だった。
皮むき餡は晒し餡に近くて、あっさりとして食べやすい。

弘法大師におくまさんという女性が差し出した饅頭が始まりなのだそうだ。
そのおくまさんから久万高原の名が付いた。

東京でも似たような地名がある。

台東区と墨田区の間にかかる言問橋と、そこを通っている言問通りだ。
その名の由来は言問団子というお団子で、言問団子の由来は伊勢物語になる。
主人公が隅田川を渡るときに鳥が飛んでいた。そこで船頭に、あの鳥は何と言うのだ、と訊く。

名にし負はばいざ言問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと

この歌の都鳥はユリカモメのことで、今も隅田川をユリカモメが乱舞している。
ユリカモメを都鳥だと言ったことから、東京都の鳥はユリカモメになっていて、お台場までの新都市交通の愛称も「ゆりかもめ」になった。

お菓子と歴史と地名の繋がりが似てない?

久万高原の2寺は、予定よりだいぶ早くに回れたので、午後早くに松山市内に戻れた。

次の札所は宇和島なのでとても半日では行けない。
こんなことなら昨日無理をしなくてもよかった!?

いやいや、岩屋寺までのバスは1日に4本しかないので、やはりこうなると思う。

空いた半日は観光をしよう。

道後温泉

道後温泉の古さは神話時代まで遡る。ここより古い温泉は別府温泉のみだ。

伊予国風土記は逸文のかけらしか残っていなくて、詳しいことはわからないのだが、この地に大国主命と少彦名がやってきていたらしい。

何があったのか少彦名が昏倒してしまった。

大国主は少彦名の命を救うために、豊後水道の地底を通して別府のお湯を引き、そのお湯で少彦名を温めると息を吹き返したのだという。

そのお湯が道後温泉だ。

その後、聖徳太子がこのお湯に浸かり、碑文を残したのだという。

その次が斉明天皇。
万葉集に素敵な歌がある。

熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな

斉明天皇の作だが、作者は額田王だというのが定説だ。

熟田津は松山の港のどこかだと言われ、当時の海岸線を思うと道後温泉まではそう遠くなかったろう。

斉明天皇ご一行は、道後温泉に石湯の行宮を建てた。

何故斉明天皇がここに来たかと言うと、時は7世紀半ば、百済が滅亡しようとしていた。百済は日本に救援を頼み、日本では天皇が中大兄皇子を将に据えて戦いに赴いた。

瀬戸内海は潮の満ち引きで船を進める。
塾田津はその潮待ちの港のひとつだった。
「月待てば」「潮もかなひぬ」はそんな風な状況で選ばれた言葉だ。
日本は言霊の国で、言葉には力が宿っているとされていた。
「歌」はそういったまじないの意味もこもった言葉だった。

道後温泉本館。
いわゆる共同浴場だが、建物が素敵なのだ。
ホテルに内湯や露天風呂があっても道後温泉本館に入りに来てしまう。
それならいっそホテルに風呂はいらないんじゃ!?
と温泉なしのホテルにしたら、めちゃめちゃ安かった。
しかも道後温泉本館のタダ券を宿泊日数分つけてくれた。

伊予鉄の道後温泉駅から道後温泉本館までの間はアーケードになっていて、お土産屋さんなどがある。

前に来た時はめっちゃさびれていたけど、今は賑やかだ。
お土産の種類も多い。

松山市内そぞろ歩き

三津港


松山は港町でもあるので海辺に行くと風情のある港町風景が見られる。

これは三津の渡し。この渡しも含めて市道なので、渡し賃は無料だ。

向こう岸に船がいても、お客さんが来たら渡ってきてくれる。

三津には三津浜焼きというお好み焼きの一種がある。中に焼きそばかうどんが入っている。うどんをお願いしたがめっちゃボリュームがあって、食べきれないかと思った。
皿が大きいので小さそうに見えるが、うどんのサイズがら推測してほしい。(これも焼きそばに錯覚するので小さく見える原因か)

台つきというのを頼むと麺が入ってるものが出て来る。

松山城

松山城にはリフトかロープウェイで上がる。
お城にロープウェイは初めてで気分も上がる。
リフトもそのうち挑戦したい。どんくさいので今回はロープウェイのみで往復した。

海の方角がかつての熟田津だ。
場所は諸説あって、三津浜から少し川を遡ったところというのも有力らしい。
良港は波が静かで海底が深く砂になっているところだ。
波が静かな場所を探すと、湾の入口が狭まっているところか、湾の入口に島があり、防波堤になっているところになる。

今治の波止浜なんかはそういう地形になっている。

松山城でやっと愛媛らしい食べ物を口にした。

内子

松山から鈍行でも特急でも行けるレトロな街だ。
かつては木蠟生産で栄えた。

内子座は今も現役で使われている古い劇場。重要文化財に指定されている。
丁度公演中で中の見学が出来なかった。

内子座が駅から街に入っていく入り口近くにあり、そこから一本道で昔の街並みが続く。

古い建物の幾つかは資料館になっている。

郷土文化資料館に行くとどこでも見られる道具かもしれないが、現場に人形と共に置かれているので、昔の暮らしがありありと浮かんでくる。

近代の偉人をモデルにした朝の連続テレビ小説の世界だ。

一番見応えがあったのがここ、木蠟資料館かな。

木蠟についてもよくわかるし、内子の歴史についてもよくわかった。
木蠟資料館の元となった芳賀家は内子の最有力者だったらしい。本家分家のお屋敷が内子に幾つもあった。

松山でも内子でもめっちゃおいしい宇和島鯛めしを食べたのだけど、宇和島のお遍路でまとめて書くことにする。

ヤバいね宇和島鯛めし。あんなうまい郷土料理他に知らないわー。

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