そのへんのOLのカジュアルお遍路のすすめ 7 風雲編(愛媛①)
愛媛をひとめぐりして思うのは、みかん畑の牧歌的なイメージはほほなく、工業都市の多い県だということだ。
とても賑やかで活気のある町が多かった。
以前にも愛媛は旅行したことがあるが、お遍路をしているといわゆる観光地以外のところにも足を伸ばすためか、印象ががらりと変わった。
8日目 伊予三島
第65番 三角寺
何で伊予三島に宿を取ったのか、滞在中ずっと疑問に思っていたが、多分だが、三角寺に行きやすいからが理由かもしれない。
当時……と言っても 今年の2月なのだが、三角寺に行くには、伊予三島駅から霧の森行きバスに乗って三角寺口で降りてそこから50分上っていくコースだった。
このバスが平日4本、土日休だと2本しかなく、寝坊したら即死。安全策をとったのだ。
今はこの路線は廃止されたので別の路線を使うことになるが、帰りにその路線を使っているので参考になるかも? ならないか? 寄り道してるし(笑)
三角寺口は街から山裾に少し入った寂れたところにあった。そこから民家の間を通って坂道を上っていく。
風が非常に強かった。
時々突風が吹いた。
いや、突風というか……ヤバくね? でっかい枝が折れて吹っ飛んで来るんだけど(汗)
道にも折れた枝がいっぱい落ちていて、それが風でまた舞い上がる。
洒落にならん。
綾辻行人のホラー小説にanotherシリーズというのがあるが、あの中の登場人物の一人が飛んできた看板か何かで首チョンパされて死んでなかったっけ!?
多分続編の方!
リアルに同体験をしそうな恐怖を感じた。体験したら死んじゃうし。
目も開けていられないほどの強風に、どういうこった、季節外れの台風かと天気予報を開くが、別に暴風注意報などは出ていない。そう言えば駅前では別に風は吹いていなかった。地理的な問題だろうか。吹き下ろす風が有名とか?
ひと休みがてら、伊予三島、風でググってみると……。
この地域特有の強風があった。
50分上っていくことよりも、道はずっと舗装されていて悪くはなかったので、向かい風で物が飛んでくるのがとにかく怖かった。
山の上にあるお寺に歩いて上るとき、上ってる間は辛くて、いやもうこれ無理、帰りたいって何度も思うのだけど、Googleマップさんがあと何キロとか何百メートルとか教えてくれるので、半分過ぎた! もう勝ったも同然! とか自分を励まして毎回何とかなる。
カジュアルにお遍路に挑んでいるので出来るだけ楽はしたいのだけど、こういう交通の便の悪いところはどうしようもない。
季節は早春とは言えまだ冬の気候で、境内は寒々しかった。
帰り道は同じ道を下っても帰りのバスがないので、イオンの方に降りることにした。
これが現在三角寺最寄りのバス停のあるHITO病院前方面で、三角寺口バス停から上る道と途中で分かれる。
坂道の時間はそんなに変わらないし、景色はこちらの方が良いと思う。
何やら天気が怪しい……。
予報ではどしゃぶりなのでまだ持ってる方。
HITO病院前は車道なだけでお店も少ないので、バスの時間までそのまま歩き続けることにする。少し先にAEONがあるようだ。
地図上のAEONの所まで来たが看板があるだけでAEONらしきものは見えない。
大通りの方に回るとお店があって安心した。
私の想像していたAEONとは若干違うが、とりあえずこれでお弁当は買える。
この近くはたくさんバスの路線が走っているので駅に行くのは楽だ。
HITO病院前から歩いて20分くらいで着く。
ここから駅までは一貫田バス停から一本だ。
車窓から見る四国中央市は、活気があって、今まで旅行したどの地方とも違う力強さがあった。
伊予三島には大王製紙の大きな工場がある。そうした産業が街に元気を与えているのだろう。
第64番 前神寺
朝一番で動いた甲斐あって、まだ11時だ。
次の前神寺は平地にあって駅から歩いて行けるというので余裕だ。前神寺から3つのお寺は全て平地で徒歩で回れる。
伊予三島からJRで石鎚駅に。
前神寺は石鈇山(いしづちさん)を山号としていて、石鎚山信仰に関わりが深い。
ちなみに石鈇山は第60番横峰寺も山号としている。
前神寺はもと背後の石鎚山の頂上にあったが、参拝の便をはかりお詣りのための出張所のようなお寺を現在の地に建てた。
他の幾つかのお寺と同様、前神寺も神仏習合で石鎚神社と一体化していたが、明治の神仏分離で頂上にあった前神寺は石鎚神社の中宮となり、出張所であった麓のお寺が前神寺として残った。
現在の前神寺は石鎚神社から横に少し入ったところにある。
雨が降り出したけど、気にしない。自転車じゃないしね!
石鎚神社の門前に気になるお菓子屋さんがあった。
名物だというゆべしの一口タイプと洋菓子幾つか買って帰った。
ゆべしも美味しいけど洋菓子もなかなか美味しかった。
石鎚神社の石鎚彦の伝説が面白い。
天照大神の兄だとか。
記紀の神話だけを見ていると、伊邪那岐は伊邪那美とともにたくさんの神を生んでいて、兄はたくさんいる。
ただ天照大神は特殊で、母は伊邪那美ではない。
そういう特殊な生まれ方をしたのは三人。天照大神、月読、須佐之男の三柱だ。
月読、須佐之男しか兄弟と認めないような気もするので、そうすると天照大神に兄は居ない。月読も須佐之男も弟だ。
だが、天照大神が歴史上実在した人物の写しと考えると話は変わる。人格のある神については歴史が神話になったと考える方がよい。世界的にもそうだが、特に日本は亡くなった方を神にする文化がある。神様の前で打つ柏手が、昔は貴人の前で打っていたものだというのも証拠になる。
兄は考えたことがなかったが、妹はいる。愛媛の名は天照大神のモデルとなった女性から取られたのではないかと思う。
その辺りの珍説は後でゆっくり語りたい。
私は大真面目にあり得た歴史だと思ってるのだが、何しろ素人の思いつきなのでトンデモの域を出なくて誰も聞いてくれない(笑)
第63番 吉祥寺
吉祥寺は伊予氷見駅のすぐそばにあるお寺だ。次の宝寿寺も伊予小松駅の側なので、3つ続いて交通の便がいい。JRは1時間に1本ある。
61番の香園寺まで国道11号の周辺にあって、ここをバスが走っているのでバスも使える。
歩いても、前神寺-吉祥寺間はやや長いが他は大体20分でほぼ平地なので楽だ。
国道11号には歩道もあるので危なくない。
途中にコンビニや100均もあるのでトイレや飲み物の心配もなくて、歩きやすかった。
御本尊は毘沙門天だが吉祥寺とはこれ如何に。
寺の名は境内にあるくぐり吉祥天に由来する。
吉祥天は毘沙門天の妃で福を授ける。
くぐり吉祥天の下はくぐれるように空いていて、くぐると福を授かるのだと言う。
第62番 宝寿寺
吉祥寺からは歩いて20分ほど。国道11号から非常にわかりやすいところにあった。
国道に面した入口は封鎖されているので横から入る。
門前の一国一宮は、隣接する一之宮神社の別当、つまり管理するお寺だったからで、一之宮神社の方は三島神社の総本社である大山祇神社の代わりに一宮を名乗っていた形跡があるようだ。
一宮というのは国府に近いところが選ばれがちだ。
現在の伊予国一宮は大山祇神社で、しまなみ海道の大三島にある。
国府近くのここ伊予小松に一宮を選んだのはそう不自然でもない。
祭神は大国主、大山祇、事代主だ。
大山祇は地元の神だから当然で、伊予にゆかりのある大国主が祀られるのもわかるのだが、事代主?? 海民だから?
かつては一之宮神社の方が札所だったようだ。
第61番 香園寺
香園寺の最寄り駅も伊予小松なので、そうは離れていないはずだが、雨が鬱陶しいのと、トラックに水たまりの水を跳ねられて全身ずぶ濡れになったのと、三角寺から歩き続けた一日、そろそろ体力も限界が近かったのでやたら遠く感じた。
安産に御利益があるらしく、現世利益のお寺は繁盛するので、とても立派なお寺だった。
立派な建物の2階に本堂がある。階段で上って屋内に入れたので雨をしのげてゆっくり参拝できた。
写真が残っていないのは屋内で参拝したためか!
足の弱い方は1階でも納経出来る。
整然とした公園のような境内だった。
虹のかなたに
帰りの電車の中で虹を見た。
高校生の集団と乗り合わせたが虹で喜んでいるのは私だけだったので少し恥ずかしかった。
珍しくないのか、イマドキの高校生は虹くらいでは驚かないのか。
虹は中国では龍の一種だ。龍の最下級が蛇であり、蛇は虫の1つとされたので、漢字が虫偏になっている。
虹のふもとまでたどり着くと幸せが見つけられるという伝説も世界各地に残っている。
幸い電車は虹のかかっているところに向かっている。
虹の原理から言えば虹のたもとにはたどり着かないはずだ。
雨と晴れの境の雨粒に太陽光が差して分離したもので、見える角度があったと思う。
が電車はぐんぐん近づいていく。
伊予三島の駅の少し向こうにかかっているように見える。
近づいても虹の位置が変わらない。
こんなことってあるの!?
写真では遠くに見えるが、現場感覚では100メートルと離れていないところにかかっているように見えた。
マジか!!
愛されたペットたちは亡くなった後、虹の橋を渡り、暖かく心地よい草原で飼い主を見守っているという。いつか飼い主がやってくる時を気長に待ち続けているという。
虹の橋の彼方から優しかったあの子たちが見守っていると感じられて、何かがこみ上げてきた。
ちなみに虹のたもと近くにはたどり着くことが出来るようだ。
あんなに近くで虹を見たのは初めてだった。
神秘体験というのは案外こういう自然のわずかなタイミングに巡り会えた時に生まれるものかもしれない。
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