見出し画像

《東京》縁切り詣りの記録

あなたは縁を切りたい人がいますか?
いない?
それは幸せなことです。
世の中には関わってはいけない人がいるのです。
それを知らずに迂闊に関わって、これはおかしいとわかったときには時すでに遅し。
タゲられて無茶苦茶にされて、ないことないこと噂をばら撒かれて、嘘の個人情報撒かれて酷い目に遭って、それでも終わらない。
助けて……。

自分の力でどうにもならないことは、そう、人智のおよばないものに頼るしかないのです。

きっかけ

きっかけを深く話したらまた関わってきそうなのでさらっと話すと、境界性パーソナリティ障害らしい女にタゲられたってことだった。
別に彼女は百合ではなかったようだけど、なんか迫ってきて怖かった。あの方法でしか人を繋ぎ止められないのだろう。
私にも事情があり、いつまでも遊んではいられなかった。
それで終わりのはずだったのに、彼女の執着が始まった。

縁切りの前に

ほんとにどうにもならなくて、彼女に忘れてほしくて、やれることは全てやった。
自分を変えるのが一番だとも思ったので相当に努力した。

弱いままではタゲられるから強くならなくてはいけない。怒るべき時に怒り、相手の下にならないようにする。

振り返ってみれば、驚いたのだけど、無意識にいつも自分を下に置いて相手の機嫌を取っていた。
何故だろうと言えば、楽だからだ。
相手とぶつかるのは面倒だし、別に大したことでなければ我慢すれば波風も立たない。
ただそうしていると普通の人とはうまくいくことが多いが、重ねた我慢は限界がいつか来て決壊して離れることにもなる。
離れると、境界性パーソナリティの人はキレる。
しかもずっと従僕状態なので反抗されると思っていないからひたすら攻撃される。

これがやったことの中で一番大変だったかもしれない。
心理学講座や会話教室にも通った。様々な人と交流するようになったが、変われたか今も自信はない。
ただ、素直に怒れるようになったし、相手の気持ちばかりでなく自分の気持ちも大切に出来るようになった。
先日なんか怒ってる相手から、「あなたって自分の気持ちばっかだよね」って言われた。

よっしゃ!

自分の気持ちを大切にして表明しよう。
たとえ世の中の人が他人の気持ちを思いやりなさいと言い続けても、他人優先で失敗したならばそんな声に耳を傾けたらダメだ。
優しさを失うことはない。自分が嫌なことは嫌と言えるようになろう。怒っていいことは怒るようになろう。
怒るときは、私を主語にすることだ。
あなたがこうするから怒っているではなく、私がこう感じたから怒っている。でもたまにあなたを主語にしちゃうんだよね。自分の気持ちって難しい。

赤坂日枝神社

赤坂日枝神社は東京の中枢、国会議事堂の側、議員会館や内閣府や首相官邸の建ち並ぶ街の高台にある神社だ。

ここで日枝神社の蘊蓄を語るのもアレなのでさらっと済ますと、比叡山の守り神が日枝神社の祭神になる。江戸城の鬼門に東叡山(東の比叡山)寛永寺を配し、裏鬼門に日枝神社を配して、魍魎の通り道を日枝の神で塞いでいる。

次項で説明する叶稲荷尊天に行った後、縁を切ったんだから今度は良い縁を呼んどかないと一生寂しい思いをするかもしれないとお詣りに行ったところだ。
縁結びの御利益があり、叶稲荷尊天からは歩いて行ける。

今はもう売っていないのだが、ここに「葵麗鏡」という小さな手鏡が売っていた。

鏡って悪いものを跳ね返すって言うし、お守りに持っておくか、と購入し、それからと言うもの常に鞄に入れて持ち歩いていた。金属製で重かった。

一年ほどした頃だろうか、ふと鏡を取り出してみると、真っ赤に錆びて割れていた。

雨でずぶ濡れになった日もあったし、乱暴に鞄を扱った日もあったから仕方ないね。
丁寧にお礼を言って処分した。

それから随分してから、彼女の消息を知ることになった。

なんと、あの鏡が錆びていた丁度その頃に彼女の嘘がバレ、すっかり落ちぶれていたのだ。
鏡、すごい……。

もう必要ないけど、何かの時のためにと買い求めに赤坂日枝神社に行くと、もう葵麗鏡は売っていなかった。

神様って居るのかもしれない、と初めて思った出来事だった。

叶稲荷尊天

赤坂見附の交差点を青山の方に折れた青山通り沿いに、豊川稲荷東京別院がある。
お稲荷さんだが、こちらは寺院で、境内には読経が流れている。

四国八十八カ所や西国三十三カ所、坂東三十三カ所、関東三十六不動を巡礼していながら今更だが、実は仏教が苦手だ。
どうしても死のイメージが拭えない。

異様な空気感の中、恐る恐る場所を聞く。
目的は叶稲荷尊天だ。
売り場の女性はすぐに理解して、絵馬のことを教えてくださった。
願うのはもちろん奴と奴の仲間すべてとの縁切りだ。
奴の周りの人に恨みがあるわけでも何でもないが、少しでも関わっていると奴に繫がっていつまでも切れないのだと悟った。
絵馬を抱きしめ、読経の流れる細い道を進む。弁財天の奥に、小さな御堂があった。
懸命にお祈りした。
この道ですれ違った人々は皆深刻そうな顔をしていた。
その人々の想いが降り積もったのか、空気がとても重かった。

結論を言えば、ここだけで効いた気がする。
ここと、葵麗鏡か。

勿論私が変わったというのが、科学的思考をするなら一番の理由だ。
ただ、縁というものは私だけの力ではどうにもならない。

これの次に行ったのは何ヶ月も先だったが、叶尊天の後からずっと一切アレと関わっていない。効いてると思いたいし効きそうな空気があった。

縁切り榎

板橋本町駅から歩いてすぐ。裏道の通りに面して、小さな祠と数本の木がある。それが縁切り榎で、日本三大縁切りの1つだそうだ。

叶尊天のお陰でもう悩んでいなくて、とりあえずお願いはしてみたけど効いているか効いていないかもわからない。

ところで、神社をお詣りするときは一度は祭神の由来を確認するのだが、叶尊天も縁切り榎も確認したことがないことに気付いた。
自分の願いに必死で神仏の気持ちに寄り添えてなかった。

まさかの語呂合わせ!
信じることと、信じて報われた人たちがいることの集合がこうしたパワースポットなのかもしれない。

叶稲荷尊天は、稲荷尊天が荼枳尼天のことで、荼枳尼天の御利益をここに集めたということのようだ。荼枳尼天は人喰いの羅刹女で、その激しい力で悪いものを退散させる。
平安時代に荼枳尼天と稲荷神が習合したのは他のお稲荷さんと同じなのだが、豊川稲荷は本尊が観音様(なんと!)なこともあって、荼枳尼天を選び、仏教の神として稲荷神を祀っている。

関東三十六不動巡り

実は最初に試したのがこれだった。
効かなかったかと言うと全然攻撃が止んだ気配がなかったから効かなかったんだけど、攻撃されてるかどうかを気にしなくなったと言う意味ではこれが実は一番効いていたのかもしれない。

関東一円に散らばる三十六ものお寺を巡るので、頑張っても仕事しながらだと半年はかかる。

また、観音霊場などとは違い、不動霊場はマイナーで、お寺の方も観光然とはしていない。
霊場巡りの受け入れ体制は四国お遍路、西国三十三カ所、坂東三十三カ所の順だが、関東三十六不動はこれらと比べていいのかどうかも悩む。
明らかに民家の玄関を叩くこともある。

以前の私は引っ込み思案の上独り立ちしていなくて、誰かと一緒じゃなきゃ何も出来なかった。
知らない家の玄関のベルを鳴らすなんてとてもとても出来やしない。
三十六のお寺をまわるうちに出来るようになったし、一人でお店に入ってご飯食べられるようになった。一人旅も出来るようになった。

それから、教室に通ったり縁切り詣りに行ったりしたのだ。
きっかけはこの関東三十六不動巡りだった。

飛不動さんは近所なのだけど、ここがカジュアルにお詣り出来るので全部そんな感じだと思い込んで、それでもかなり勇気を出して始めたのよね。

呪いと返しの風

平安時代の精神世界はファンタジーで、魑魅魍魎は存在しているし、呪詛で罰を受けたりするし、酷い殺し方をすると祟って大変な天災が起きてしまう。
そんな時に活躍するのが陰陽師たち。

彼らの普段のお仕事は暦、つまりカレンダーを作ること。
暦作りは農作業に直結しており、現代人が考えるよりずっと大切なものだったのだ。
昔の暦は太陰太陽暦という物を使っている。
この暦作りは数学の知識が必要で、つまり陰陽師たちは数学者だった。
今も若干同じようなところはあるが、昔は科学と、説明はつくが根拠が曖昧な言説は、同じ学問の中に入っていて、それを学んだものなら様々なことを解決が出来た。

それで陰陽師が怨霊退治したのだった。

さて、陰陽師たちが呪詛を返すときにやったことはと言えば、関わりを絶つことだった。
全ての縁を切るのだ。

呪詛とはなんだろうか。

それは悪い噂のようなものではないだろうか。
呪詛を受けたという噂そのものすらダメージになるものだったのではないだろうか。
それを切ってしまえばこちらにダメージは入らない。
噂を信じる人も切らなければならない。
上役がそれならば上役ごと。
その潔さしか効かない。

悪い縁を切ると相手に返しの風が吹く。
噂に喩えてみたらわかるだろうか。
悪い噂を立てられていた人が消えた後、立てた本人はほくそ笑むかもしれない。
だが周囲は急に冷めるだろう。
まだ同じ噂を立てようとその者がしていたら離れようとするだろう。この人はおかしい、と。
これが返しの風だ。

多分呪詛とはそう言うものだったのだ。
陰陽師は心病んだ人々のセラピストのような役割を担っていたのだ。

関わりを立って新しい生活を始めたら、二度と同じことが起こらないように、自分を変えなくてはいけない。
他の誰でもなく自分が選ばれたのは、利用されやすい自分だからなのだ。
彼らにとって扱いづらい自分にならなくてはいけない。

いいなと思ったら応援しよう!