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高野山の守り神

丹生都比売神社に行くには、大阪なんばから南海線で橋本駅まで行くのが近いだろうか。
金峯山寺の蔵王権現のご開帳(この記事もそのうち書きたい。特別ご開帳期間に出来るだけ行きたいので春秋のご開帳期間に合わせて奈良に行き続けている。今年は四国があるので断念したが)を見に行った後に行ったのでえらく時間がかかって大変だったが、高野山に行くつもりで行くと案外早く着くかもしれない。

橋本からはJRに乗り換え、笠田まで行く。笠田からは1時間半おきにコミュニティバスが出ているので、バスの時間に合わせて向かえばさして苦労せずにたどり着く。

丹生都比売神社の丹生都比売は高野山の守り神だ。


創建について

丹生都比売神社は延喜式式内社で、紀伊国一宮でもある。

丹生家系図

創建の年代は不詳だが、社家の丹生家が日前・國懸神宮の社家、紀伊国造家と先祖を同一にしていることから相当に古いことがわかる。紀伊国造家と分かれるのが豊耳命の時で、これはおおよそ応神天皇の頃になる。西暦に直すと4世紀後半頃となる。

丹生大明神国門詞

丹生都比売神社には応神天皇の手によると言う、丹生大明神告門詞が残っている。

(前略)
天の石倉押し放ち天の石門を忍し開き給ひ
天の八重曇を伊豆の道別きに道別き給ひて
豊葦原の美豆穂の國に美豆わけ給ふとして
國郡は佐波にあれども
紀伊國伊都郡庵田村の石口に天降りまして
大御名を申さば恐こし申さずば恐こき
伊佐奈支伊佐奈美の命の御子
天の御蔭日の御蔭
丹生都比賣の大御神と大御名を顕はし給ひて
(後略)

丹生大明神告門詞

丹生都比売が紀伊国伊都郡に降りてから彷徨い葛城の天野に坐すまでが書かれているが、丹生都比売の名乗りに注目だ。

『天の石倉押し放ち天の石門を忍し開き給ひ』
『伊佐奈支伊佐奈美の命の御子天の御蔭日の御蔭丹生都比賣の大御神』

なお伝説に寄れば丹生都比売はもと、鳥羽の安楽島にある伊佐波神社にいて、そこから奈良に入り、吉野を巡り、今の丹生都比売神社のある地に至ったのだそうだ。

播磨国風土記逸文

応神天皇の母、神功皇后が新羅に遠征に行く途上、播磨の国を通った。
その時に丹生都比売が神功皇后に加護を授けた。

息長帯日女命欲平新羅國下坐之時禱於衆神尒時國堅大神之子尒保都比賣命著國造石坂比賣命教曰好治奉我前者我尒出善験而比〻良木八尋桙根底不附國越賣眉引国玉匣賀々益国苫枕有寳國白衾新羅國矣以丹浪而将平伏賜如此教賜於此出賜赤圡其土塗天之桙建神舟之艫舳又染御舟裳及御軍之着衣又撹濁海水渡賜之時底潛魚及飛鳥不徃来不遮前如是而平伏新羅已訖還上乃鎮奉其神於紀伊國管川藤代之峯

播磨国風土記逸文

応神天皇が丹生都比売神社を創建したとするならば、母后のこの事績のお礼だろうか。

祭神について

丹生都比売神社には四柱の神が祀られている。

丹生都比売大神

第一殿に祀られる主祭神だ。
丹生都比売は天照大神の妹神、稚日女命と言う。
稚日女は記紀にも出て来る。
高天原の機織り小屋で機織りをしていたところ、須佐之男が暴れ馬をけしかけてそこに放り込み、稚日女は驚いて錘で陰部を突いて亡くなってしまった。

驚いたからと言って錘(糸巻き)を性器に突き立てないと思うのだが……。

もちろんこれは暗喩で、暴れ馬という雄の性の象徴とも合わせて、須佐之男の強姦を示すとも言う。

ちなみにこの稚日女が亡くなったことが天照大神の岩戸隠れの直接の原因になった。

この稚日女を丹生都比売神社は天照大神の妹だと言う。

名前から言うと、それはあり得る話だ。
天照大神の名は大日孁貴(オオヒルメノムチ)、大と稚が対応して、姉と妹の名に相応しい。

何故紀氏が祀っているのかという疑問があるにしろ。

高野御子大神

第二殿に祀られるこの神はどの神話にも名がない。
丹生都比売の御子神だ。

記紀を信じるとしたら、須佐之男と稚日女の子と言うことになるのだろうか?

弘法大師が唐から帰国するときに、日本のどこに教えを広める場を作ろうかと迷い、三鈷を投げて占った。
すると葛城を指し消えたという。
弘法大師はその地を求め、葛城山中を彷徨い歩いた。
すると2頭の犬を連れた漁師に会った。
導かれるままに漁師について行くと、紀ノ川を渡り山懐深く入っていく。
美しい女性が弘法大師を迎えた。
女性はこの山の主だと名乗り、弘法大師に協力を申し出た。
そして女性の案内に従うと素晴らしい土地があり、消えた三鈷も見つかった。
それが高野山で、女性は丹生都比売、漁師は高野御子とされる。
高野山の名は高野御子の名から来ている。

タカノ、の名に、丹後がちらつく。
豊受女神は竹野川沿いに伝説を残すが、竹野川は竹野姫に由来する。竹野姫はたかのひめ、と読む。

竹野姫の父は尾張の建由碁理で、その妻は葛城諸見己姫だ。葛城は、和泉葛城?
いや、高野御子は男性だ。
……本当に男性か?
漁師としか描かれていない。

兄弟で同じ名を共有することもある。
竹野姫の兄弟に倭得玉彦がいる。

またチリチリと記憶が焦げる。

得玉彦、まるで阿加流姫の玉を得たとでも言っているような名だ。

竹野姫、阿加流姫、豊受女神、水光姫。
もしも、阿加流姫が稚日女の娘ならば。
卑弥呼の宗女、一族の娘とされる台与の条件には合う。卑弥呼の姪だから、香春神社に卑弥呼の子である忍骨とともに祀られた。

もしも阿加流姫が胸鉏姫で、母が稚日女ならば。
父が須佐之男という条件にも合う。

大食都比売大神

第三殿に祀られているのは大食都比売大神で、大宜都比売だ。
この女神は丹生都比売と仲の良い女神とのことで、鎌倉時代に気比より勧請された。

ただ、気比の神は伊奢沙別命で男神だ。別名は御食津(みけつ)大神と言うので、食物神であることは同じなのだが、そもそも気比の神が食物神なのがおかしい。
何故ならば、気比の神は天日槍と言われているからだ。
新羅から阿加流姫を追いかけてきた王子だ。
彼の持っていた剣の名が胆狭浅(いささ)の大刀と言い、また気比神宮のある敦賀から上陸したため、伊奢沙別命が天日槍なのは間違いないと思われる。
食物神の性格はどこにもないのだ。あるとすれば妻阿加流姫の方だ。もし豊受女神であるならば、豊受女神は稲荷神でもある。別名を三狐津(みけつ)神という。

ただ、大宜都比売の影などどこにもない。

大宜都比売は記紀では須佐之男に殺される。
稚日女と同じだ。
それも須佐之男が新羅の曾尸茂梨(そしもり)に降りた後、出雲に入る前に稚日女を殺している。

強姦のショックで亡くなったのではなくて、産褥で亡くなったのだとしたら?

子は助かって、だから後継者に選ばれたのだとしたら?

大宜都比売が稚日女のことだとしたら?

気比から自分を呼んだことになるのでなしか。
ただ、大宜都比売と気比は本当に何もないんだよな。
御食津大神と混同されて呼ばれたのか。

大宜都、御食津と漢字を開けばここも繋がりが見える。オオゲツの次にケツがくる。
逆で、もしかしたら御食津神の母だから大が付いたのかもしれない。

御食(みけ)、気比(けひ)のケは竹の器を意味する。
転じて食物を意味することになった。

市杵島比売大神

第四殿に祀られるのは市杵島姫だ。宗像三女神、天火明の妻。またの名を天道日女と言う。

第二殿から第四殿までを、もしかしたら同じ女神が祭られている?

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