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黄泉の国の姫君

根の堅洲国、黄泉の国、呼び名は幾つかあるが、これらは神話の中で語られる死者の国だ。
かつて島根半島が島だった頃、弥生時代の初期になるが、その頃は海流の関係で今の島根半島と本土の間の海にたくさんの漂流物が流れ着いた。
海民の水葬の屍体も流れ着いたろう。
その終着地の浜だから、夜見の国と呼ばれたのかもしれない。
弓ヶ浜を境に伯耆国となり、山間部に行くと比婆山がある。伊邪那美の葬られた山だ。
この地を多具国(たくのくに)とも読んだ。
垂仁天皇の皇子を祟った出雲大神の坐す国の名だ。


八十神に嫌われて

大国主の物語は妙に生々しい。
物語は東の因幡国から始まる。因幡国は今の鳥取市あたりで、山背から出雲まで続く古代の丹波道の中途にある。

八上姫

鳥取市の南西部のあたりに、八上姫という美しい姫が居て、大国主の兄の八十神(たくさんの神々という意味で使われていると解釈されている)が求婚したが、八上姫が選んだのは大国主だった。そこで八十神に嫉妬され様々な苦難に合う。
因幡の白ウサギはこの苦難の途中に入る挿話だ。
その後、伯耆国の手前で焼けた大石によって死ぬことになり、母なる刺国若姫の派遣した𧏛貝比売(きさかいひめ)と蛤貝比売(うむぎひめ)によって蘇生させられた。

このままでは蘇生もできない死を迎えることになるだろう、と母の刺国若姫は大国主を木国の大屋彦(五十猛)のもとに行かせた。

大屋彦のもとでまた八十神に襲撃され、命からがら根の国に向かった。

須勢理姫

そこで須勢理姫と出会い、互いに一目ぼれで恋に落ちる。
須勢理姫は須佐之男の娘だ。母の名は知られない。
須佐之男はこの頃根の国の王となっていて、須勢理姫が連れてきた大国主を見て不快感を示した。
様々な試練を与えるがそのうち一つ、蛇の部屋に閉じ込めた時、大国主を助けた須勢理姫が持ってきたのが蛇の比礼だ。
またムカデと蜂の部屋に閉じ込めた時はムカデと蜂の比礼を持ってきて蜂を鎮めた。
比礼とはストールのような布のことで、蛇の比礼と蜂の比礼は、物部の十種の神宝に入っているものだ。

さまざまな試練をくぐり抜け、須佐之男に気に入られた大国主は、須佐之男が油断して眠っている隙にその髪の毛を柱にしばりつけ、生太刀、生弓矢、天詔琴とともに須勢理姫を連れ出して逃げ出した。

須佐之男が目覚め、髪を柱からほどき、ようやく追いかけたとき、すでに二人は黄泉比良坂を出るところだった。

須佐之男は言った。
「その太刀と弓矢を持って八十神を追い払え」
と。

刺国はどこか

刺国若姫の子

この神話の大国主は刺国若姫の子ということになっている。父は天冬衣だ。
刺国若姫は刺国大神の娘ということになっており、刺国大神の刺国がどこなのかは語られない。

似た名の神に刺田彦という神がするが、この神は大伴氏の祖で、道臣命の父だ。
道臣命は神武東征に出てくる。別名を日臣という。八咫烏の飛ぶ方向を来米を率いて追いかけて軍勢の先鋒を務めた。このことから道臣の名を神武天皇から授けられた。

刺田彦とよく似た名の猿田彦も先導をつとめた導きの神で気になるところではある。

刺田は刺国ともよく似ており、関連が疑われる。

その刺国はどこか、という話なのだが、刺国大神は神話を持たず、刺国若姫もこれ以外の神話を持たないため、どこなのかは全くわからないのが実情だ。

𧏛貝比売と蛤貝比売

刺国若姫の遣わしたこの二女神だが、出雲国風土記の中に出てくる。

法吉郷郡家正西一十四里二百卅步神魂命御子宇武賀比賣命法吉鳥化而飞度静坐此処故云法吉

神魂の子宇武賀比売命が法吉鳥(ほほきどり)になって飛んできたため法吉(ほほき)と言う。
法吉は松江市の北部、島根半島にある。
なお法吉は伯耆(鳥取西部)と由来が同じであり、かかわりが深いともいう。

この宇武賀比売(うむがひめ)が蛤貝比売(うむぎひめ)だ。

ほかに秋鹿郡条にも出てくる。

所以號秋鹿者郡家正北秋鹿日女命坐故云秋鹿矣

この秋鹿姫日女の別名が蛤貝姫であると、秋鹿神社の社伝に残っている。秋鹿は法吉の西、やはり島根半島にある。

𧏛貝比売もまた出雲国風土記、島根半島の、嶋根郡加賀郷に出てくる。

加賀郷郡家西北廿四里一百六十歩佐太大神所生也御祖神魂命御子支佐加比比賣命闇岩屋哉詔金弓以射給時光加加明也故云加加

加賀郷の中心の来製本二十四里に、佐太大神が生まれたところがある。その母神魂の子支佐加比賣(きさかひめ)が暗い岩屋であると言い、金の弓をもって射ようとした時に光輝いた。そのため加加という。

佐太大神は猿田彦であるというと佐太神社は言う。

すべて神話は島根半島にある。

刺国の刺は細長い地を表す言葉だ。
刺国は島根半島が海に囲まれていた時についた名ではないだろうか。
つまり、刺国若姫は島根半島の姫なのだろう。

出雲国造

神魂の娘

𧏛貝比売も蛤貝比売も神魂命の娘とされている。
神魂は、出雲の神話に頻繁に出てくる。
古事記冒頭に、

天地初發之時於高天原 成神 名天之御中主神 訓高下天云阿麻 下效此 次高御產巢日神次神產巢日神此三柱神者並獨神成坐而隱身也

天地初めてひらけし時、高天原になれる神の名は天之御中主神、次に高御産霊、次に神産霊。この三柱の神はみなひとり神となりまして、身を隠したまいき。

とある三柱の神だ。
身を隠したというわりに、高御産霊は国譲り神話で高天原側として出てきており、神産霊は出雲神話に出てくる。

そしてこの神魂が何かといえば、神魂神社に行きつく。

松江市にある神社で、もと、出雲国造千家氏が奉じていた。
豪族の奉じる神は、基本的には祖神だ。
出雲国造氏の祖神は、天穂日(天菩日)とその子、建比良鳥だ。建比良鳥は天夷鳥とも武日照ともいう。

熊野大神

建比良鳥は出雲国造神賀詞にも出てくる。

しかれども鎮め平けて、皇御孫の命に安国と平らけく知ろしまさしめむ』と申して、己命の児天の夷鳥の命に布都怒志の命を副へて、天降し遣はして、荒ぶる神等を撥ひ平け、国作らしし大神をも媚び鎮めて、大八島国の現つ事・顕し事事避さしめき。

出雲国造伝統略によれば、氏祖は宇迦都久努であり、崇神天皇の時に出雲国造に命じられたという。

出雲神話を調べている時にいつも出雲国造とは何なのだろう、と首をかしげることがあるのだが、国譲りの時代と崇神天皇の時代が重なるとすれば、目の前が開けてくる。
この宇迦都久努が建比良鳥で、経津主とともに出雲を平定する。

宇迦都久努の宇迦が、豊受の受と関係ない可能性はどれだけあるだろうか。

出雲国造が氏神として祀るのは櫛御気野命で、正確には伊邪那伎日真名子加夫呂伎熊野大神櫛御気野命と言う名だ。出雲国風土記では伊弉奈枳乃麻奈子坐熊野加武呂乃命という。
伊邪那岐の愛した子とされるが、櫛御気野が須佐之男なのかすら混沌としてくる。何故ならば、高天原から派遣された天穂日、建比良鳥に須佐之男を祀る理由がないからだ。須佐之男は征服される国津神側だ。

出雲国造伝統略には、出雲建子も出てくる。建比良鳥の子とされ、別名を伊佐我(いさか)という。また、出雲振根も出てくる。宇迦都久努の先代で、阿多命の別名だ。その先代が、毛呂須命という。
毛呂須は建諸隅ではないのか。
天日槍の子も似た名だ。諸助という。出石の諸助だ。諸助の子の時代に出雲と同じように神宝を献上した。出雲では毛呂須の子の出雲振根の時代に神宝を献上した。

須佐之男の娘

大国主が恋に落ちた須勢理姫だが、母の名はわからない。突然大国主の神話に出て来て、大国主を助ける。
その役どころはギリシャ神話のテセウスに恋をしたアリアドネのようだ。アリアドネはミノス王の娘で、迷宮に閉じ込められたテセウスを助けるために糸玉を渡す。迷宮にはアリアドネの父違いの弟である、半人半牛のミノタウロスが居た。
そういえば須佐之男はのちに牛頭天王と習合する。牛はいない(魏志倭人伝による)と言われる時代の話だが、不思議なつながりだ。出雲神話はほかにも、伊邪那岐の黄泉下りもオルフェウスとエウリディケの神話によく似ている。

さてそんな須勢理姫だが、誰かと言えば記紀の天孫降臨に痕跡が残っている。

天孫瓊瓊杵尊が木花開耶姫と結ばれたのち、子が生まれる時に、一夜しかいたしていないのに子ができるものかと妻の不貞を疑った。
そこで木花開耶姫は産屋に火を放ち、その中で子を産んだ。
そのため、子には火にまつわる名がつけられている。
伝わるのは4つの名で、生まれたのは三人だ。火照命、火須勢理命、火遠理命、火明命。
このうち火遠理命が彦火火出見で、火照命が、昔話に出てくる海幸彦となる。彦火火出見が山幸彦だ。
火須勢理と火明が同一人物だろうか。
この火明が、天火明で饒速日となる。

同じように炎の中で出産した物語が危機にある。
垂仁天皇とその后狭穂姫だ。
生まれた王子は多具国の黄泉大神、甕津姫に呪われる。

また伊邪那美もまた火の神を産んで亡くなる。

出雲国造は代替わりの時、火継ぎ神事を行う。
火によって母なる神を亡くした記紀の神話に抗うように。

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