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そのへんのOLのカジュアルお遍路のすすめ 13 寝不足編(高知②)
寝不足である。
何でなのかよくわからないが眠れなかった。
いっそ起きてやろうと思ったらそのまま朝まで起きてしまった。
ヨガもしてみた。
そうそう、最後のアーサナ(死体のポーズ)とかうっかりすると寝ちゃうんだよね。
意識はクリアなままだった。
16日目 高知
第35番 清瀧寺
第36番の青龍寺となんだか似てない?
まじまじと字を見てわかった。さんずいが付いているだけだ。
海に近い青龍寺がさんずいなしで山にある清瀧寺がさんずい付きとはこれいかに。
高知の移動はこれが便利だ。
ジョルダンの乗換案内アプリを愛用しているが、そのアプリから購入できた。
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郊外まで乗るので余裕で元が取れる。
いちいち小銭を用意しなくて良いのもポイントが高い。
香川編で言ったが、四国で交通系ICを使えるのは高松周辺だけで、高知市も使えそうなのに使えない。独自のICを導入している。
高知駅のはりまや橋方面とは反対側の出口前にバスターミナルがある。
高岡営業所行きバスはそのバスターミナルから出る。
高岡高校前か、高岡営業所のどちらかが清瀧寺の最寄り駅となる。
地図を見ると随分歩くようだ。
終点高岡営業所まで乗ることにした。
帰りのバスを待つときに営業所の方が屋内で待てる確率が高いと思ったからだ。同じ道を行き来すれば帰り道に迷いにくい。
バス停を降りると暑かった。
徒歩40分。
清瀧寺は山の上のようだ。
日陰がなくなり、畑の中の道を歩いて行く。道は狭まり、さらに細い脇道に入って、山道に変わった。これは遍路道!? と警戒すると、まもなく車道に出て安心した。
遍路道はいけない。あれを通れるだけのスキルは私にはない。
予想外に上る。
高知市内から行くお寺だからてっきり平地にあると思っていたら、30分くらい上ったので結構キツい。暑いし、ガリガリ体力が削られていく。
やっと着いたときは精根尽き果てていた。昨夜眠れなかったせいもある。ほぼ完徹で炎天下の山登り、いくら舗装路でも辛い。
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弘法大師が金剛杖を差したところから清い水が湧いたため清瀧寺という名前になったそうだ。この清い水を利用してこの土地では土佐和紙が作られているらしい。紙作りには古今東西大量の水が要る。
清瀧寺のある山を越えるといの町で、紙の博物館がある。
帰りの時間を確認すると、なんと、行きと同じ時間をかけたらバスに間に合わない。いや、10分早く着いても間に合わない。
遍路道しかない!
途中から車道に合流した。
合流しないで山道に入ってバス停から遠ざかったらどうしようかと思った。
山門から階段を降りていくので大分短縮できた。
こういう道だったらそこまで避けないのだけど、大体玄人好みの険しい道だよな遍路道。
第34番 種間寺
種間寺がこれまた大変だ。
最寄りバス停は春野公民館前。
このバスが土日運休、平日も本数が少なく、清瀧寺に行くと、種間寺行きのバスは午後3時過ぎまでない。
おまけに帰りのバスは翌日だ。
とさでん交通のバス路線図とGoogleマップを睨めっこして、レンタサイクルも視野に入れて考えた。
はりまや橋あたりから自転車だと、片道10キロくらいだから、30キロ走った経験が豊富(?)にある私には敵ではない!
ただクソ暑い。
バスでもっとも近くまで寄るのは天王ニュータウン線だ。
競馬場北口から歩けば、2時間で種間寺に着くだろう。
参拝して春野公民館前まで歩いてバスを待てば、帰れる。完璧な計画だ。
寝不足で、この炎天下でなければね……。
寝不足だったので判断力も鈍っていた。
競馬場北口から歩き始めて、ヤバくね? と気付いた。
とは言え、歩道もあるし、起伏は少ないし、途中コンビニもあったので、そこまで大変ではなかったような気もする。
コンビニって素晴らしいね。
アイスと冷たいコーラがあんなにおいしく感じたの久し振りだ。
コンビニがなかったら行き倒れていたかもしれない。
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着いたが、門前の自販機の前でしばらく休んでいた。ヘトヘトだった。
公共交通機関のお遍路の人、ここどうしてるの?
やっぱ自転車?
やだこれ以外写真残ってない(笑)
種間寺の建立は飛鳥時代に遡る。
仏教を我が国に取り入れようとやいやいやっていた頃の話だ。
百済から仏師を招いたのだが、帰国の途中で船が台風に遭い遭難しかかったのだそうだ。
そこで船を休めたところがこの土地だった。
仏師たちは航海の安全を祈ってここに薬師如来を残した。
ん?
なんか変な伝説だぞ?
百済に帰る時の航路で太平洋側を通るのはおかしい。
船に乗らないし、乗ってもエンジン付きの船ばかりだからあまり頓着しないが、かつての航路は決まった季節と経路があった。
瀬戸内海は潮の満ち引きですいすい行けるので水路さえわかれば最高なのだが、複雑な満ち引きなので地元民しかわからない。そこで瀬戸内海に水軍が出来た。水路を知る者が瀬戸内海を制した。瀬戸内海を制すればその沿岸の国を制したも同然だった。
日本海と太平洋は、海流がある。
対馬海流と黒潮だ。
この流れは速く、流れに乗れば高速で西から東に向かえた。
逆に進むときはどうすればいいかと言うと、日本海には春から夏にあいの風が吹いた。この風を利用すればいい。
そこで日本海の航路と港は発展した。
太平洋にはこの風がなかった。
西から東に進むのは楽だが、東から西に進むのは難しく、そこで陸路が発展した。
東海道が発展したのはそんなわけだ。
東から西に向かう船を太平洋で台風の季節に走らせた???
これが本当なら、日本は彼らを国に帰すつもりはなかったのでは?
春野公民館前からのバスは何しろ本数がないので、それに合わせてお寺を出ることにする。
種間寺周辺はのどかな感じで、何となく法隆寺のあたりに似ている。
春野公民館前停留所はとても近かった。
寂れた公の建物、地図で見ると高知市役所の分室のようだが、そのお向かいの橋の上にバス停の標識がある。
見に行くと向かい側で待てと書いてあるが、暑いのでバスが来るまでは日陰で待つことにする。
待つこと30分。バスが走ってきた。
役所の分室の方に渡ってバスに乗ろうとするが、バスが停まらない。
はい?
とにかく、バスを追いかけて走る。
運転手は気付かないのか、停まってくれない。
手を振っても遠ざかる。
嘘でしょ!?
日が暮れかけていた。
バスの影が道の彼方に消えた。
高知城
この後どうしたかはもう書いてるので引っ張ることもないのだけど、翌日まで続く話なのでここで話を終えて、残りは高知観光の話にしよう。
と言っても、この時は高知観光どころではなかったので、別の時のものだ。
高知城ははりまや橋の西、高知市の繁華街に隣接しているが官公庁街でもあり、いきなり静かになる一角にある。
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日本全国で昔の天守が残っているのは全部で12しかない。そのうち4つが四国にあって、高知城もその中の1つだ。
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歴史好きと言っても平安までしかわからないので、お城は私の知識の範疇外だ。
戦国時代以降については詳しい一般人がたくさんいるので余計なことは喋らないことにする。
お城に詳しくない私が天守という言葉で思い出すのは赤江瀑の「上空の城」だ。
読んだのは中学生の時なのでほとんどは忘れているのだが、上空にある天守に百鬼夜行が鬼門から裏鬼門に抜けていくイメージが脳裏に焼き付いている。
お城に上る度にそれを思い出す。
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丸亀城にも松山城にも行ったが、現存天守は古い木材が歴史の重みを滲み出していて、お城に興味ない私でも感動する。
ちなみに現存天守は北から、
弘前城、松本城、丸岡城、犬山城、彦根城、姫路城、
松江城、備中松山城、丸亀城、伊予松山城、宇和島城、高知城
とある。
宇和島にもお城があったのに行き損ねた。やはり再訪するしかない。
この中で行ったことがないのは、丸岡城と備中松山城と宇和島城の3つだ。地方に行くとお城くらいは見るか、と現存してないところも含めてなんだかんだで結構行っていた。
戦国時代から江戸時代までに興味を持てばもっと楽しめるのだろうな。
しなねの森
高知城は無邪気に高いところ古いものを楽しんだが、こちらは古代史浪漫に浸った。
高知って古代はどういう立場だったのだろうと想いをはせる。
「しな」と言う響きからは級津彦級津姫を思い浮かべる。風の神だ。
ここは土佐国一宮、土佐神社境内の本殿の裏の森だ。この鎮守の森を古くからしなねの森と呼んだ。
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ここに鎮まる神は阿遅鉏高日子根と一言主神で、土地の人々は一言主神のことをしなね様と呼んだ。
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一言主は奈良の葛城に坐す神で、雄略天皇が葛城山中でこの神に出会って対話した。
一言で断ずる神と自称している。
名の響きの相似から、事代主と同神ではないかと言う説もある。
阿遅鉏高日子根も事代主も出雲の神で、下照姫の兄にして夫だ。鴨の神話を紐解くとこの二神は同神のようだ。
続日本紀にはこの時に高鴨神は天皇の怒りに触れて土佐に流されたとある。
高鴨神は阿遅鉏高日子根だが、天皇と狩りをしたのは一言主なので、やはり、
阿遅鉏高日子根=事代主=一言主
なのだろう。
しなねの語源は諸説あって、風の神から取った説や稲の古名(シネ)から取った説などがあるそうだ。