愛と妄想の徳島
阿加流姫関係、徳島編までに大体必要なこと書き終わった。
徳島編で妄想が止まらないのでちょっと説明しとこと思ったらこんなに長く……(笑)
阿波邪馬台国説は除いても、徳島のことは普通に記紀に出てくるし阿波忌部は現代の天皇家の即位の儀式にも入っているので、面白いのよ~。
現代人は陸路で考えるから、なんで徳島? って思っちゃうけど、神話の時代の足は船だと考えると、徳島は全然遠くない。
淡路もあるので休めるし、紀ノ川河口の対岸に吉野川河口がある。
紀ノ川の上流も吉野川と言うが、徳島の吉野川も奈良の吉野川も由来は河原にヨシ(葦)が生えているからだそうだ。
なお葦をヨシと読むようになったのは平安時代以降だそうで、それだと日本書紀にすでに奈良の吉野は吉野とあるので葦説はなくなる。奈良の吉野は吉野川から来たそうだ。葦ではないとすると良い野という意味か。野……? 吉野は山ばかりだという印象なのでやっぱり疑問が残る。
徳島の吉野川の方は、吉野川が暴れ川であることもあって、山が削られ河口は広い平野部になっている。削られた土も堆積して、こちらは野というのに相応しい。
二つの吉野川は、遡ると水銀に因むことが共通している。
徳島の吉野川がいつからこの名で呼ばれていたかは調べ切れていないので何とも言えないところだが、奈良の吉野川と徳島の吉野川は関係あるかもしれないなあ。
徳島市には天石門別八倉比売神社という神社がある。
こちらの神社が阿波邪馬台国説の屋台骨を支える社伝を持っている。
八倉姫は忌部氏の系図に出てくる。天日鷲を追っていた私にはなじみの女神だった。八倉姫の神社と言うことだけで天石門別八倉比売神社もチェックしていて、行きたかったので行ったのだけど、社伝見てびっくり、調べてびっくり、邪馬台国阿波説の盛り上がりにびっくり、アンチにびっくりの、びっくりし通し(笑)
社伝は、偽作と言うか、多分いつの時代にか……戦国時代の後、焼け野原になった後ではないかと推測しているけれど、それまでに伝わっていた話を整理する形で作られた話ではないかなと言うのが私の感触だ。
捨てられた国府の地に確かな伝説を残すために。
ただまるきり出鱈目かというとそうでもなく、元になった話は天日鷲の神話だろうと思う。天日鷲は日本書紀にも出てくる。神武東征で勝利の時に神武天皇の弓に留まった金鵄が天日鷲だ。
忌部氏がいる土地には台与の痕跡が色濃いので、卑弥呼はともかく台与とは大分関わりあるなあと思う。
それから最後の方で解いたけど、ものすごく重要だった大麻比古。
この人が阿波にゆかりがあったから阿波にこんなにそれらしい痕跡があったのではないかと思う。
ああ妄想が止まらない……。