そのへんのOLのカジュアルお遍路のすすめ 9 帰ってきた自転車編(愛媛③)
今治にはたくさん札所がある。一気にまわれる。
自転車でまわれば早いだろうなあとレンタサイクルを探してみた。
以前来たときは今治市運営のレンタサイクルで安く借りられた記憶がある。
ところが……。
10日目 今治
今治のレンタサイクルは、市営がなくなり、委託か指定管理かちょっとわからないのだけど、今は民間が運営している。
しまなみ海道を自転車で渡る人用のレンタサイクルだ。
なので本格的だし、お値段も桁が違う。
市内なのでバスも通っている。バスを何回か乗ってもバスの方が安いし、時間的にも間に合うようだ。
それに天気も悪くなりそうだしね。
しかし雨ばっかだな。
こんなに雨に祟られた旅行はちょっと記憶にない。
第59番 国分寺
と言うわけでまずは国分寺に向かった。
その頃は国分寺まで行くバスは少なく、桜井団地行きに乗って国分橋で降り、そこから歩くのが一番時間的に良かった。
四国各国に一つずつある国分寺の1つで、伊予国分寺だ。
一宮は多少離れていることがあるが、国分寺はまず律令制の頃の国府があった場所に建てられている。
なのでこの今治の東がかつての国府になる。
舟が重要な交通手段だった頃、高速道路のように使われていた海路が、一に日本海、二に瀬戸内海になる。
瀬戸内海は潮の満ち引きで海流が変わり、潮目を読むとさして苦労せずに西に東に進めるという。
潮目の変わる刻限を待つことを潮待ちと言って、瀬戸内海で拓けた港は潮待ちの港だ。
そして、瀬戸内海で重要な場所が幾つかある。
1つが芸予諸島、通称しまなみ海道。
ここを抑えれば交通を支配下におさめられる。
大三島に大山祇神社があるのはそんなわけだ。
大山祇は瀬戸内海の支配者だったのだろう。
大山祇神社を建てたのは小市という人物だ。子致とも言う。伊予皇子の子であるといい、伊予皇子は孝霊天皇の頃の人で、倭迹迹日百襲姫の母違いの弟になる。
もしくは物部氏の大荒河の子大小市が小市その人であるとも、その子が小市であるともいう。
伊予皇子は奈良時代の人物だという説もあるが、物部氏のことも考えると、倭迹迹日百襲姫の甥であるという方が正しい気がする。何しろ倭迹迹日百襲姫は香川に伝説がある。卑弥呼その人であるというし、卑弥呼は天照大神であるという説はかなり有力だし、天照大神の兄が石鎚山に鎮座している。
つまり天照大神、卑弥呼は大三島の主、大山祇に縁が深いと思われ……この話は別立てで語ろう。
大山祇神社が伊予の一宮で、全国の三島神社の総本宮となる。
ここ国府から朝廷の御幣をいただいた役人が大三島まで行って参拝した、かはちょっとわからない。
地元民は海民なので島に行くのに心理的障壁はなかったろうけど、中央から派遣された役人は舟は怖かったんじゃないかな。
そこで一之宮神社と宝寿寺が出て来る。
あそこが一宮であったというのは、それなりに説得力がある。
国分寺はあやしいお土産屋さんのようなところを抜けていくと着く。
静かなお寺だ。
団体さんに出会わないとどこもそんなものなのかもしれない。
第58番 仙遊寺
国分寺からは歩くしかないのだが、前日の横峰寺の疲れが後を引いていた。
仙遊寺は小高い山の上にあるのだ。
雨も降ってきたので、伊予富田まで歩いてそこから行きだけタクシーをお願いした。
めっちゃ霧。タクシーにしてよかった!
なおこの霧も横峰寺の時と同じく山を下りたら晴れていた。
昔この地には仙人が居た。ある時雲と遊ぶかのように消えてしまったことから、仙遊の名が付いた。
山に霧がかかる時、下界からは雲がかかっているように見えるので、仙人が消えた日もこんな霧の日だったのかもしれない。
第57番 栄福寺
仙遊寺からはこれまた歩いていくしかないが、大した距離ではない。下り坂なので50分ほどだ。
郊外の空の広いところから住宅地に入っていく。
短い急坂を上れば栄福寺だ。
写真の下の方に坂が写っているが、すごい急な坂なのがわかる。短いのでそんなに苦にはならない。
横峰寺踏破の直後のせいか、50分徒歩を近いと感じたり、急な坂でも短ければ大したことがないと感じるバグが出来てしまった。
山の麓にあるお寺だが、頂上には石清水八幡宮があって、その名のとおり京都の石清水八幡宮から勧請した神社だ。
栄福寺はその別当(管理していた)寺となる。
栄福寺からバス停が遠い。
道は舗装されていて平地なのだが、雨で水たまりが大きく出来ていて、歩くところがない。
第56番 泰山寺
泰山というと泰山府君をすぐに思い起こすオタク脳。陰陽師が泰山府君祭を執り行うと死者を戻すことが出来ると言う奴で、一時期流行ったオカルトアクションでは定番の術だった。大体失敗して死者が悪さして主人公が調伏するんだよね。
泰山寺の泰山は泰山府君(中国の冥界の王)とは全く関係がない。
延命地蔵菩薩経から取られている。
と続く1番目の女人泰産、女性のお産が軽くすむ、という意味のこの言葉からお寺の名前は取られてるそうだ。
お産と冥界の王じゃ、真逆じゃないか。
雨は上がりつつあった。
第55番 南光坊
南光坊は今治駅から歩いても行ける。駅前の道を真っ直ぐ市役所の方に向かって進み、大通りを左に曲がればすぐにある。
大山祇神社と仏教が習合した頃の別宮の1つで、空海もここに参拝したと言うことで八十八カ所に数えられるようになったようだ。
街の中心部に近いこともあって、散歩している人もいた。
折角ホテルの近くまで来たのでのんびりと休みたいところだが、まだ午後2時なので次も行ける。次までが今治市内なので頑張ろう。
第54番 延命寺
南光坊からは、今治市役所前まで戻ってそこからバスに乗ればいい。
菊間線星之浦海浜公園行きに乗り、阿方で降りてちょっとだけ歩く。500メートルくらいなので10分かからずに着く。
バス停からの道は今治街道と言う昔からの道で、お店もあって活気のある道だ。
延命寺の境内に入ると一転して静かだ。
かつてはこのお寺に参拝する前に大山祇神社に立ち寄るのが決まりだったという。
松山市堀江から船出し、大三島で納経した後、今治市西北の波止浜に上陸してそこからこの延命寺まで歩いたらしい。
明治の神仏分離でこの決まりがなくなった。
現在は堀江からは大三島に行く船はないし、波止浜から出る船も大三島には行かない。
ただ、しまなみサイクリングロードが近くを走っていて、しまなみ海道に入れる。
しまなみ海道は歩行も出来るようなので、歩いて大三島まで行けるから、古きを偲んで昔ながらのお遍路をする時は大三島も立ち寄ってみようか。
11日目 松山
第53番 圓明寺
JRの伊予和気駅から近いので楽々だったはずなのだが、乗り過ごして戻っておろおろした。
ここからは松山市内に入る。市内と言っても海に近い町外れの方で、街並みはしっとりと落ち着いている。
このお寺は行基が開いた。
古いお寺を回ると、大体3人の誰かが建てている。
役行者小角か、行基か、弘法大師だ。
役行者が7世紀の人、行基が8世紀の人、弘法大師が9世紀の人になる。
各時代に偉いお坊様はいて、尊敬されていたと思うのだが、この3人は何故特別になったのだろう。
第52番 太山寺
延命寺からはバスがあるが、どうも歩いても同じ時間に着きそうだったので歩くことにした。
横峰寺から感覚がバグりっぱなしだ。
ちなみに歩いて40分ほどかかる。太山寺境内はずっと上りなので結構キツい。
市街地にあると思ったが、ちょっとした丘の緑の中に建物が点在していて、規模の大きなお寺だった。
バスで来ると、上り坂の半分くらいのところにバス停があるので大分楽が出来た。
時間だけで考えちゃダメだった。
第51番 石手寺
来た道を戻るのも何なので、横道に逸れて港山まで歩いて伊予鉄で道後温泉まで行った。
この先の松山市内のお寺は交通の便が非常によろしくない。
歩いていくのは大変なので自転車に頼ることになる。
道後温泉のレンタサイクルは休業中だった。
大街道にレンタサイクル屋があるのでそこまで戻らなければならないが、一度今日の宿に行って荷物を置かせて貰おうと思ったのだ。
道後温泉にあるが宿には温泉は引かれていない。
問題はない。どうせ宿の風呂には入ることはない。
道後温泉本館に行くからね!
さて大街道に戻り、自転車を借りて一路石手寺まで。
これが思ったより遠かった。
石手寺は道後温泉から近い観光地という触れ込みだったはずだが、道後温泉から歩いたら20分くらいかかるのかな?
大街道からだと自転車でも20分かかった。
車通りが多いので走りやすいとは言い難い道なのと、何やらゆるゆるに上ってるような気がするのだけど。ペダルが重い。
門前がちょっと面白い。昭和初期の商店街かな? と言うような風情のある商店が数軒並んでいる。ミニミニ仲見世だ。
第50番 繁多寺
繁多寺は石手寺からずっと山の辺を通るので上り下りが激しい。
高台にあるので、最後の坂きつかった!
あと一月くらい後に来たら、青々とした山に境内の花が映えてさぞかし綺麗だろうと思う。
第49番 浄土寺
市街地を走り浄土寺へ。
繁多寺から降りると道は平坦で走りやすい。がやはりペダルが重い。体力がなくなっているのか、自転車の問題なのか。
仁王門が立派だ。奥に見えるのが本堂になる。
空也上人ゆかりのお寺だと紹介されることが多いが、空也上人とはどんな人物かと言うと、
この像が一目でわかる。
浄土宗の法然上人よりも150年前の人で、南無阿弥陀仏を唱えることで救われると市井の人々に教えを広めた元祖的な人物だ。
各地を放浪しているので各地に伝説があるが、四国八十八カ所ではここ浄土寺のみに伝説がある。ここに3年間滞在したのだそうだ。
第48番 西林寺
西林寺は車通りの多い車道に面しており、わかりやすい。
なんかやっぱりペダルが重い。疲れているから重いのかと思っていたが、西林寺にたどり着く頃に疲れたと感じたので、多分その前は疲れていなかったと思う。
まちなかのお寺らしくこじんまりとしている。
ちょっとしたお庭があって、ホッとする。
大自然が好きかと訊かれると、怖いところもありそこまで好きではないのだけど、アスファルトとコンクリートの街は心ががさがさする。
第47番 八坂寺
八坂寺までは結構な距離がある。
道が上り坂になった。景色が寂しくなってきた。
Googleマップの言うとおりに走ったが、入口がない。何故か墓地に入っていって、どうも自転車は通れなさそうだ。
入口はどこだ。
いったりきたり、うろうろしてしまった。
墓地の周辺をまわり、何とか車の入口を見つけて駐車場に到着。
なんか、親しみがわく、結構好きなお寺かも。
山号が熊野山で、お寺の名前が八坂寺なので須佐之男命が関係してそうだけど、その形跡は見当たらない。
熊野大社から熊野権現を勧請して建てられたお寺なのだが、愛媛では熊野信仰が根付かなかったらしい。
ご本尊の阿弥陀如来が熊野権現の本地仏であるということだけが名残だろうか。
第48番 浄瑠璃寺
本日最後のお寺。八坂寺からは歩いても15分ほど、自転車ならすぐだった。
これまた大好きな感じの緑に包まれたお寺だ。
浄瑠璃は薬師如来の納める東方浄土のことで、本尊薬師如来にちなんで付けられた名前らしい。
今日はここまで。おつかれさま!
と言いたいところだが、ここから大街道まで帰って自転車を返さなければならない。
一度通った道は覚えるたちなので帰りは予測も立てられて気が楽だが、とにかく遠い。道のり12キロある。
ちなみに、大街道から浄瑠璃寺まで、お寺に寄りながら18キロ走っている。
また30キロをママチャリで走っちゃったよ……。
疲れたよ……。
帰りのペダルが軽いよ……。
もしかしなくてもやはり、松山市内、奥に行くほど高かったよ。帰りは楽だったよ。疲れたせいでも自転車の整備不良でもなかったよ……。
一日でこれだけまわるのはお勧めしないが、どう行程を組んでも、こういうまわり方になると思う。だって松山市内の交通の便がよくないのだもの。