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この姫こそは姫
タイトルは比売許曽神社のことを言ってそうだけれど、今日は比売許曽神社の許曽はそういう意味じゃないよ、という話をする。
全国で確か6社くらいあるヒメコソ神社のうち、最も行きやすいのは大阪の比売許曽神社だと思う。大阪には二つあり、二つとも大阪市の市街地にあって駅チカでいきやすい。
神功皇后の時代
もう少しだけ神功皇后の話が続く。
五十迹手
神功皇后を下関にて迎えた伊都県主五十迹手は天日槍の子孫だという。
命尽くしの国で検証した、筑紫君が天日槍の娘天美明姫と波多武彦の子孫の可能性を考えると、この血統に神功皇后も居て(そもそも大彦が出雲の誰なのか問題があるので、そうすると単純に天日槍と阿加流姫の子孫というだけかもしれない)、五十迹手はその分家、屯倉(宮宅)だったのではないかと言う気もする。それは熊鰐(わに)も同じだ。大体、ワニと言ったら事代主で、天日槍の血統そのものに見える。
中津平野から遠賀川までは神功皇后息長帯姫の屯倉であると言うのは捧げられたのではなくはじめからそうだったという話で、後に中津平野の入り口の香春岳に香春神社が祀られ、宇佐に比売大神が祀られたのもそのためだった。
その息長帯姫が敬っていたのが祖神である女王台与で、彼女を目標に彼女の領土を取り戻そうと頑張ったのではないかなと。
阿加流姫を追うと、特に九州では神功皇后の伝説が上に重なってくるんだよ。
清瀧権現
船出した神功皇后を、海上で気比大神が守護する。自分は新羅の神清龍権現だと名乗った。清龍権現は清瀧権現とも書く。仏教の神だ。またの名を善女龍王とも言い、沙掲羅龍王の幼い娘で非常に賢い少女神だという。母は歳徳神頗梨采女で、その夫の牛頭天王が須佐之男の習合したため――。
もう皆まで言うなという感じに、様々な伝説が一つに集結していくが、チェリーピッキングしてるわけではないし、どんな神でもこうなるのではない。阿加流姫を追うとこうなっていくのだ。
仏教が入ってきてから作られた伝説と思われるが、その頃はまだ須佐之男の娘阿加流姫という素性が伝わっていたのだろう。
頗梨采女は稲田姫と習合している。
とすると、八岐大蛇の物語はやはり、天豊足柄姫と八束水臣津野の話で、天豊足柄姫は稚日女で、御衣織姫が阿加流姫(これについては疑ったこともないが)なのだ。
つまり気比大神は天日槍と、阿加流姫の両方を祀っているようだ。
そうすると、丹生都比売神社で気比大神の大宜都比売を勧請したのが納得できる。
あれは阿加流姫だったのだ。
阿波の八倉比売も阿加流姫で、そうすると案外に天石門別八倉比売神社の社伝も贋作ではないのかもしれない。天日鷲の伝説を下敷きにしたのだろうと思っていたが、天日鷲=八倉比売ならば、あれもあれで当時伝わっていた伝説なのかもしれない。
高磯姫
新羅から帰ってきた神功皇后は清瀧権現に感謝して社を建てた。今の長野宇美八幡宮がそれだ。
糸島にはもう一つ、不思議な神社がある。
長野宇美八幡宮は、当時はおそらく広い湾の西岸だったが、当時の東岸に高祖神社という神社がある。
祭神は彦火火出見、玉依姫、神功皇后だ。
ただ、昔は高磯姫という姫神を祀っていた。この高祖神社は渡来人たちに奉じられていたようだ。
高祖神社のあたりが伊都県主の本拠地であったと思われ、謎の高磯姫は阿加流姫ではないかと、阿加流姫フリークの私じゃない人が言っている。
私はさすがに証拠がなさすぎて(;´Д`)
一応二つ三つ重ならないと可能性が高いとは思えない……。
阿加流姫ではないかという人は清瀧権現が阿加流姫だから、おそらくこちらも、と言うことらしい。
さすがにそれだけでは(;´Д`)
ただ別のアプローチで、高磯姫は阿加流姫じゃないかと推測出来るものがある。
そう。
比売許曽神社だ。
タイトルはここに繋がる。
命尽くしの向こう側
魏略に戻る。魏志倭人伝や魏略の話をしていたのは遠い昔に感じる。私がそうなのだから、読んでいる人はもっとそうだろう。
狗奴国
魏略では伊都の女王の南に狗奴国があったのだった。
東南五百里到伊都国戸万余置曰爾支副曰洩渓觚柄渠觚其国王皆属女王也女王之南又有狗奴国女男子為王其官曰拘右智卑狗不属女王也
そこが紀氏の本貫地基山一体ではないか、としたのはこのシリーズの最初の方、邪馬台国の道を辿るの二回目だったが、命尽くしの筑紫神は基山から大体3キロほどの北北東にある。
JRの基山駅あたりを中心に半径3キロの円を描くとそこに二つのヒメコソ神社が見つかる。
九州に3つあるヒメコソ神社のうち、一つは姫島だが、残り二つは基山周辺なのだ。
これもあって、卑弥呼はもしや片親が紀氏なのではないかと考えたのだ。
どうも、九州での阿加流姫は狗奴国の庇護下にあるくさい。
ちなみに九州以外には岡山に1社、大阪に2社ある。
媛社神社
行政区分だと小郡市になる。基山からは南南東に3キロほどだ。
一覧で見たときは別の市だったため、九州の地理に詳しくない私はどこか遠く離れたところにあるものだとばかり思っていた。
この神社をシリーズの最初に持ってきていたら、ここまで長い話をする必要もないくらいだった。(ちなみに大阪の比売許曽神社もそれだ。長い説明いらない笑)
なぜかというと、祭神と社伝で話が終わる。
上の紹介ページにも書いてある。
媛社(ひめこそ)神は「饒速日命」であり、かつてこの筑後一帯に土着し、後に豪族となった物部一族の祖先です。
ちなみに祭神は万幡秋津師比売命だ。栲幡千千姫の別名だ。なぜ祭神が万幡秋津師比売命なのに媛社神が別にいるかと言えば、媛社神が饒速日で男なので比売では辻褄が合わなかったのだろう。
姫古曽神社
こちらのヒメコソ神社は媛社神社ほどセンセーショナルではないが、同じくらい古い。基山の真南3キロほどのところにある。
祀られているのは市杵島姫だ。
ここまで欠かさず読んでいる人ならば、ああ、なるほどね、とうなずいたことだろう。
市杵島姫を織り姫として祀っている。
それについても、なるほどね! と思ってくれることだろう。
ヒメコソのコソとは何だろう。
そこで思い出すのが高祖神社だ。
新羅系渡来人によって奉じられたという。高磯姫は阿加流姫ではないかと言われている。魏志倭人伝では伊都は筑紫の入り口で、伊都で入国手続きの後に上陸できた。神功皇后も伊都から出入りしている。
その南、狗奴国も、和解しているならば同じなのだろう。港だからたくさんの渡来人が居たのだろう。
そこで祀られた高祖神、渡来人なので音読みしたのではないか。
コソ、と。
ヒメコソのコソは高祖神の高祖ではないか。
難波の碕
その昔大阪は海の底で、上町台地が岬のように突き出ていた。
難波の碕と呼ばれたそこに一度停泊をし、それから中海を渡り、石切劔箭神社のあたりから生駒を越える。
それが神武天皇が最初に取った道だったが、同じ道を饒速日も取っただろうというのは、石切劔箭神社があるからだけではない。
石切劔箭神社の当時の対岸、難波の碕の岸辺に、比売許曽じんじゃがあるのだ。
もう一社、高津宮境内にもある。
どちらかが古代の比売許曽神社だという。
高津宮も、鶴橋の比売許曽神社も、大阪の人なら難なくたどり着くだろうと思う。
ちなみにどちらの祭神も同じだ。
お参りすればそこに祭神の名が書かれている。
実際にお参りしたのは、調べ始めてからかなり経った頃で、もしかしてもしかしたら阿加流姫は豊受大神で、下照姫なのでは!? とようやく確信に至った頃だった。一年以上調べてたんじゃないかな💦
お参りして、脱力した。
祭神、下照比売命。
下照姫にたどり着くまでに、めっちゃめちゃいっぱい調べ物したのに!!!
なお、Wikipediaなどを読むとわかるが、阿加流姫のはずなのに下照姫になっているのがおかしいと皆様お思いのようだ。
いやいや、よく残してました。素晴らしい。