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真の深刻劇場はここでした、親子の絆って。未だ自問自答してます。 10

何を大切にする?「家ごとダンシャリ」とわたしの決断したこと

※アメブロで2014年に書いた「自分史」を加筆・再考し掲載しています。


母とのこんな一部始終があった日の夜、
長男がまた暴れました。

わたしがお金を渡さなかったから。

もう何回目でしょう。

蹴られたり物を破壊したり
家の中がそのたびにぐちゃぐちゃになるんです。

身体も心も限界に来ていました。
その頃はもう長男が暴れると警察に通報という状態が
あたりまえで頻繁になっていました。

毎回やってきてくれるおまわりさんも
心配してくれてたなあ…。

夜中遅くなって

警察の人に連れられて帰ってくると
しばらくは静かだけど

また同じことの繰り返し。

正直「もうこれはいつまで続くんやろ…」と
思っていました。

夜中、ようやく静かになった
ひさしぶりにパソコンを開きました。

風俗行こうかなではありません。(笑)

ぼんやりと考えながら、ふと。
「この家、売れるんやろか?」
と思いました。

そんなことはそれまでこれっぽっちも
考えたことはなかったのですが

朝の母親の言葉と、長男の暴力と
私のいない間に起こる次男への暴力を防げない状態。

もうこれを
なんとか終わりにしたいと心底思っていました。

『こんな家、もういらん・・・・』

そして、

『長男もいらん・・・・』
真剣に思いました。

そのとたん
ネット検索にあがってきた

「住宅売却無料見積もり」のボタンを

ポチっと
押しちゃいました。

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そのときから
また大きく流れが動き始めました。


次の日あっという間に
業者さんが見積もりに来られました。

長年住んだ家
はじめて建てた家

たくさんの思い出があるはずの家

いやいやもうたくさんでした。

部屋になにもなくなっても
主人の思い出につながるものが嫌でも目に入ります。

もうそれも見たくない。

住んでた家は

雨漏りのことも
数年前にボヤ(長男のタバコの不始末)があったことも
長男のおかげで荒れ果てた家になっていることも

隠さず伝えないといけなかったですが

それでも

二束三文でも
売れてくれるならいいと思いました。

もういらん、こんな家。

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そして
もうひとつ。

私はひとり決めていたんです。

家を売って
新たに賃貸で新しい生活をする。

そのとき当時19歳だった長男は
家から出そうと。

もう一緒には住まない

私は
学校にも、警察にも
子ども家庭センターとも
連携をとりました。

「次男と私を守る」という意図での対策ができました。

家を購入したときの
6分の1で売却が決まり
年末には引越しのめどが立ちました。

長男に売却することを伝えたとき
「次どこに住むん?」ととても気楽にしてました。

新しい家は次男と一緒に決めました。

次男には
あんたを守るために引っ越すことにしたので、
この経緯を長男にも誰にも
話したらだめだよと言っていました。

ひたすら淡々と動きました。

「家ごとダンシャリプロジェクト」
を絶対に成功させてやる。

売却から引っ越しまでの一ヵ月半の間に

長男には
住むところを決め、仕事を決めることを
子ども家庭センターの人に家に来てもらい、長男に伝えることにしました。

私一人で伝えるの恐怖だったんですよね。

「なんで(センターの)おっさんと話さなあかんねん」と荒んだ目をして出てきた長男に

センターの担当の男性は
もう一緒には住まないこと

住む場所は教えてもらえないこと
自分の身のおき場所の相談にのること

を話してもらいました。

そのときの長男の表情は忘れられません。

すこしだけチクリと心が痛みました。
「わからんこと、教えてな」と心細げに言ってたとき

連れて行こうかなって思いはしました。

が、
それからも長男は結局
変わらなかったのです。

軽い気持ちで「居候させたるー」と言った友人の言葉を
真に受けていたので

やはり、最後までいつもの横柄さに戻ってた長男は

引越しの一週間前にあっさりとその友だちに
「やっぱり無理」と断られました。

引っ越す一週間前になって
本当に長男は焦ったようです。

子ども家庭センターの方も
心配して電話をしたりしてくれていましたが

わたしの思考のままに

長男もやはり、当時は
「自分の人生の舵をとらないまま」だったのですよね。

長男への思いを残しながらも

わたしはひたすら
思い出を捨てる作業を行い
またもやお金の作業をいろいろし

長男のことを思えば
とてもひどいはなしなのだけど

「自分がしあわせになるため」
動こうとしていました。

完全に「自分優先」でした。

次男もこのことが決まってから
随分と明るくなったことを自分の中で「正当化」する材料にしていました。

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次男とわたしとの間で

もうすぐ 

お金をとられることもない
夜中にパトカーを呼ぶこともない
家をあらされることもない
暴力を奮われることもない
安心できる生活がくる

あともうちょっと、がんばろう☆
だったのです。

そしてこの計画は

あの、
柿を持ってきてくれて以来会っていない
私の両親にも内密で
行われていました。

引越しまであと3日という夜がやってきました。

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