真の深刻劇場はここでした、親子の絆って。未だ自問自答してます。 7
学校が先生が変わってた!大ピンチを救った次男の中学校の先生
※アメブロで2014年に書いた「自分史」を加筆・再考し掲載しています。
近所も学校も
警察にもお世話になって大騒動を起こした失踪事件でしたが、
帰ってきてくれて、心底安心しました。
次の日次男は学校に行き、
そしてね
当時の担任の先生と
数時間に渡って話しをしたそうです。
次男のためにそこまで。
その後、先生から
私にお話がありました。
そのときの先生の話は
当時の私に本当に大きな力をくれました。
次男の不登校&失踪の理由。
ただひたすら純粋に
「お勉強がいや」だった。
(今となってはちょっと笑えるけど)
以下本人の話そのまま。
中学生になって
学校も遠い、
教科書重い、
部活もある。
なのにお母さんはもっと勉強しなさいっていう。
勉強したくないねん。
だから
学校にいかなくてもいい?
塾も大変やねん。
…と(笑)
そしてね
私が
先生からお聞きした話はというと。
「塾がなかったら学校行ってもいいかなあ~」と
本人はいっています。
お母さんのお気持ち次第ですが
私は
次男くんはお勉強に関してはご心配あるかもしれませんが
それ以外では学校生活を楽しめると思います。
お母さんも
長男くんの頃から本当にいろいろありましたし
お父さんも亡くなられたこともありましたし
ここはね、できれば
学校にお任せしてくれませんか?
勉強しなさいと本人に指導するのは
学校の仕事にします。
お母さんはなにも言わないで
じっくり自分の時間をもって元気になってください。
そして
もしもよければ
スクールカウンセリングをお母さんも受けられませんか?
気もちを出す場所があるとよいかもしれませんよ。
実は三年前に卒業した長男の担任の先生が
生活指導の先生になってました。
次男失踪のときにこの一連のことを思ってくださって
担任の先生に伝えるように
進言してくださったそうです。
今思えば
(っていうか、忘れてました…
こんなに、親身になってもらってたんですね。
もう、そもそもこどもたちに
向き合うなんてしてなかったけど
自分の中ではいっぱいいっぱいでした。
相変わらず「一人で」背負いこんでいましたし。
学校って
教育をする場であって
家庭のことは各家庭でって
だから「私が」ちゃんとしないと
ずっと思って生きてました。
実際長男が二年生のときも
「家庭での教育がダメだからこんなダメ人間を作る」
と当時の担任に言われたことがあります。
(同じ中学校の四年前のことです)
ひどいことを言われているって
わかってたけど…
わたしがはむかうと
内申書に書かれるんじゃないかと
恐れて言われるがままでした。
そして、
こんな長男だから私がこんなふうに言われなきゃいけないんだ、と
長男の気持ちに心を傾けることができませんでした。
長男を傷つけることをきっとたくさんたくさん言ったと思います。
なので私がこうやって
学校で、
こんな言葉をかけてもらえるなんて…
肩の荷から「なにかひとつ」降ろしているのを感じました。
私は学校を
全面的に信頼しました。
塾は辞めてもいいよと話しましたが結果、
一教科だけ自ら行きました。
勉強はついに、中学時代一度も勉強しなさいと言うことなく過ぎました(笑)
方向性も、なにをするかも
わかりませんが
自分を元気にすることを
考えようと思いました。
カウンセラーの先生にも
週一回お話をしにいく時間を持つことができました。
ああ…
なんか、思い出しました。
若い女の先生だったけど
本当にお世話になったなあ。
当時していた話は
本当に自己中心的で、未熟で
悲しいほど拙い毎日の愚痴だったのですが、
当時のカウンセラーの先生は
丁寧に、丁寧に話を聞いてくれ、
その中で私も
自分のほんとうの気持ちがいまどうなっているのかを
「怒りに流されず確かめる」ことを知りました。
そして
「こうしたらよかったのかも・・・・」と
私が自らこたえを導き出せる。
そしていつもそのあとにでてくる
クヨクヨする気持ちをも受け取ってもらう。
それはそれは心地よい時間になっていました。
結局一年半ほど、
そのカウンセラーの先生にはお世話になったのです。
実際この時点では
まだまだ本当にいろんなことがあり、
「変わっていく私」までには至っていないのですが。
ひとつ大きなこと。
「以前は敵のようだった学校という場所」に
私は助けられ、
「心の整理の時間」をつくることができるようになりました。
毎回学校にいくことで
少しずつ元気になっていく自分。
「感謝」というものをすこしずつ
感じられるようになっていました。
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