日常から学ぶ教える姿勢
毎日変わる質問に自分の「今ここ」を感じながら、アウトプットしています。
今日の質問は
『どんなことを教えたいですか?』
教える姿勢の変化
勉強 知識だけではなく学びを教えたいという時に、私の中では傲慢であったり上からの立場として下のものに教えるという昔の感覚をよく持っています。
年齢問わず立場問わず、教えられる事って日常の中に普通にあって、それこそ子供たちの純粋な行動の中から学びを得る事ってとても多いなと思うんですよね。
教えることの肝
そう思った時に今日の質問の中の教えたいという言葉が伝えたいではなく、教えたいなのが肝だなという風に私は思いました。
私の中では混在しがちな気がしたので気づきとしておきます。
経験のアウトプットと姿勢の重要性
自分が学生の頃に先生から教わってきたことを思い出したんですが、先生自身が私たちに知識を与えてくれるためにいろんな方法を使ってくれていました。
それでも受け取り側にいろんな聞き方があり、知識の受け取り方があり、さらに実生活の中での生かし方があり、その中で自分のものとしていくのはやっぱり受け取り側の受け取り方もうあるんだろうなぁと思ったんです。
がそれは今ちょっと横に置いて。
その相手の立場を超えて、こちらが教えたいこととなった時に、もし私自身に教えることがあったとすれば、やはり自分の経験をアウトプットすることで自分が得たものをさらに揺るぎないものになっていくんだということを伝え続けていく姿勢。
そして、学びを得ていく中でトライしていたことや失敗したことなどのプロセスをやはりアウトプットしていくことでしょうか。
自分の中の対話
そう見ていくと教え方というよりは、自分の姿勢、そして教える時の姿勢よりもむしろ、自分が人生の中でどんな姿勢で何をどう掴んでいくか、何をしていくかが大切なのかなと思いました。
どちらにしても、私自身は学ぶことよりも、教えるという言葉に「自分ごときが」とか「私みたいなものが」という自分の中の会話と向き合っていることが分かりました。
うーん深いなあ。
この部分についてはもう少し自分の中で掘り下げてみようと思います。