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父がまた「仕事はどうだ?」しか聞かなくなった。

「父の日」に顔を見せに帰ったが、父はただただ数独に没頭していた。

「仕事はどうだ? うまくやっているか?」と聞かれたので「まぁ、ぼちぼちね」と答えたら、「それはよかったな」とだけ返ってきた。

まだまだ油断できないご時世である。今までのように頻繁に帰省できない中、顔を見せにきたというのに。次に会えるのがいつかもわからないのに。

父と私にとっては安定のやりとりである。父は娘の私が元気で楽しくやっていることを確認できればそれで満足なのだ。昔から細かいことをやいのやいの言わない。娘が大学受験の際あまりに勉強しないことを気に病み、自分が受験に失敗する悪夢を見続けていたらしいが、それでも怒ってきたりはしなかった。就職活動も氷河期かつ右肩下がりの出版業界志望だったこともあり、大学卒業時にも行き先が決まっていなかったが、それでも夢など諦めて雇ってくれる業界に就職しろと忠告してきたりはしなかった。おかげで、私は今日まで自分の望む人生を生きることができている。

そんな父でも、今年のお正月、2年ぶりに帰ったときはさすがに饒舌だった。ふだん言葉が少ない父だけに驚いたのを覚えている。それを思えば、元の世界に、日常に戻っているということを喜べばいい、のか。

リビングのソファでひたすら数独をしている父を横目に見ながら、私は父に贈った「稚加榮」の明太子をごはんに乗せた。「稚加榮」の明太子は、父の、そして、何より私の好物だ。

両親は贈り物をすると決まって「いくらなの?」と心配する。
40歳になっても安心させられる娘になれていない。

にしても、今日は本当に「父の日」だよな?

見上げたエレベーターの「今日は何の日?」によると、「ベースボール記念日」らしかった。

「父の日」、その存在感の薄さは気の毒でしかない。

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