名もなき自炊ごはんを昨日と同じように盛り、昨日よりちょっとだけ胸ときめかせながら頬張る今日。
お会計をしたら「4万2千円」だった。
今日だけは気に入ったら買う。値段は気にしない。どれだけ買っても今年観に行く予定だった舞台のチケット代を超えることはないだろうから。世界が一変した2020年。外出自粛を続けた末、プライベートで初めて出かけた民藝展での決め事だった。物欲がなく買い物でストレス発散するタイプではないのだが、なんとなく新しい感覚で行動してみたかった。
フロアいっぱいに並べられた器たち。同じ作家、同じ形でも1枚1枚異なる。職人たちの手仕事を味わい続ける時間。しばらく忘れていた高揚感に包まれた。私はフロアを何周しただろうか。気付けば2時間ほど経っていた。
4万2千円。緊急事態宣言下で足を運ぶ機会が奪われた帝国劇場のS席チケットが14,000円だったから、まさに3回分だ。何の因果かわからないが、ピタリ賞である。冗談はさておき、今日だけは爆買いするぞ! と意気込んだにもかかわらず、その月に観劇するはずだった公演のチケット代にも満たないとは。器の小ささを突き付けられたようでほんのちょっぴり凹んだりもした(人としては浪費をしない「大正解」であるが!)。
気に入った器をこんなに真剣に、そして、たくさん買ったのは、実を申せば10年ぶりくらいであった。私は昔から器が好きだったし、お気に入りの器に料理を盛るのも好きだった。切って火を通して味を付けただけの名もなき料理であっても、ひとたび心ときめく器に盛れば味がよくなる。だから、社会人になり実家を出てからは、ちょっと雰囲気のいい器ショップを覗いては手に入れ、コツコツ集めていた。
その習慣をピタッと止めたのが2011年3月。たった一度の揺れで、それまで大事にしてきたものが一瞬にして奪われることを知った。それからは店頭にの器に一目惚れしても眺めるだけで店を後にするように。気付けば「どうせ割れるからなぁ……」が口癖になっていた。
しかし、である。突如経験することになった外出自粛生活。狭い部屋に閉じこもって考えたのは、今という時間を心地よく過ごさずして何の意味があるのか、ということだ。いつか器が割れるかもしれないことを気にして生きることにどれほどの価値があるのか。自分自身でさえ明日消えてもおかしくない現実を生きているのに。
「今、この時をしっかり生きて愛して」
私が愛して止まないミュージカル『ラ・カージュ・オ・フォール』で歌われる名ナンバーの一節であるが、まさにこれである。今が心地いい時間であるかどうかが大事。訪れるかもわからない未来のことなんて気にしなくてもいいではないか。心地いい今さえあれば、そんな今を積み重ねていければ、この先どうなったとしても受け止められる。そう信じられるようになった。
これからは「これだ!」と思った器に出会ったら即買う。それが今を大切に生きるということだから。私は10年ぶりにコレクション入りした器たちを並べ、名もなき自炊ごはんを昨日と同じように盛る。そして、昨日よりちょっとだけ胸をときめかせながら頬張るのである。
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