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昨日はHさんの葬儀だった。

昨今のお葬式はすべてパッケージ化されていて、それほどお手伝いすることもないかな、とは思ったものの、
何かできることがあるかも、と思い、1時間前について受付をしたら、
会葬御礼品の引換券が1番だった。

棺の中のHさんに会う前、耐えられるかどうか自信がなくて、
友人の手をぎゅっと握った。
ずっと握っててもらったけど、顔を見たらやっぱり、大泣きしてしまった。
亡くなってから時間が経っていたこともあって、
生前の面影はなかったけれど、
それが余計に「物言わぬひと」になってしまったんだなぁと実感させて、
涙が込み上げてきて止まらなくなった。

友人ともども、よく泣き崩れなかったものだ。

たくさんの人がHさんに会いにきていた。
割と前の方に座らせてもらったので、お焼香する人々がよく見えて、
ああ、Nさんだ、あ、F先生来てくださったんだ、あぁTちゃん、20代の時上司だったもんね…と、
懐かしい顔が見えると、その人とHさんのことが思い出されて、
その度に新しい涙がこぼれた。

せっかくお化粧したのに、喪服姿は女性を何割か綺麗に見せるらしいのに、
半分わかってはいたけれど、
ひどい顔になった。
Hさんは明るい人だったから湿っぽいのは嫌いだろうに、
何泣いてんだよ〜って思ってるだろうな。

葬儀の後、友人4人と飲んで、夕刻、帰宅。

ひとりになったら、また悲しみが押し寄せてきた。

思えば、近しい人が亡くなったのはHさんが初めてだったのかな。
Hさんとは、以前の会社時代の付き合いで、20年ほどだったけど、
特にHさんが会社を辞めた後の方が付き合いがあったから、
ここ10年ほどのあれやこれやが思い出される。

Hさんはいつも「そこにいる人」だったから、
私の中の「そこ」にぽっかりと穴が空いた。
笑っちゃうくらい、陳腐で使い古された表現だけど。
いつも、当たり前のようにあったものが突然なくなると、
こんな感じになるのか、と
思いながら、ぼーっと延々と録画したドラマを観てる。



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