
努力は必ず報われる。だから何事もやり遂げる彼女の中には、いつも家族の存在があった
あなたの両手が物語ることを教えてくださいと問われたら、あなたは何を思い浮かべるでしょうか。
今回取材したのは、都内で食品の企画開発・バイヤー業務に従事するK・Yさん。北海道で生まれ育ち、8年前に上京した20代女性です。
彼女とは元職場の同期として出会い、過去を深掘りするのは今回が初めてでした。
仕事で関わる彼女の印象は「芯が強い人」。
同時に、まわりに弱音を吐かず、ひとりでがんばり続けているように見えていました。
彼女の両手が物語ることを教えてもらった今、反発できないことを受け入れる力を兼ね備えているから、黙々と向き合い輝いていたのかと納得しているわたしがいます。
ぜひ最後までご覧ください。

両手が物語ることは、人生で時間をかけてがんばってきたこと
ーー今回のインタビュー企画は応募制にしたけど、Kさんが手を挙げてくれたのは正直意外だったんだよね。どうして受けてくれたの?
Kさん:
自分の手を意識して生活したことがなかったから、考えてみようかなって思ったんだよね。インタビューで話しているうちに気づくこともあるかなと。
ーーうれしいな。さっそくだけど、「あなたの両手が物語ることを教えてください」思い浮かんでいることはある?
Kさん:
がんばってきたことはなんだろうと考えたら、勉強とクラシックバレエ、中高のバレーボールかなぁと思ってる。
ーー両手が物語ることは、Kさんの中で「がんばったこと」に変換されるんだね。
Kさん:
そうだね。がんばったことって人生において時間をかけていることだから、そこに費やした時間が手のひらを形成していく経験なのかなって考えて、勉強やバレーを思い出したな。
転機となった中学2年生の1学期。勉強への熱が加速し挫折を味わった
ーーでは、最初に答えてくれた「勉強」について、どんな思い出か詳しく教えてもらえる?
Kさん:
中学2年のとき、勉強への意識が変わったこと。
中学2年生の1学期の定期テストで、めちゃくちゃ前からテスト勉強をして5教科500点中450点以上の目標を実現できたの。
最後に、理科のテストが100点で返却されたときは本当にうれしかった。
ーー教科まで明確に覚えているくらい濃い経験だったんだ。なぜそのタイミングで勉強をがんばろうと思ったんだろうか。
Kさん:
中学校って、小学校と違って定期テストの順位が見えるようになるじゃん?
中学1年生のときは、成績はクラスの中間で見てみぬふりをしてたけど、自分の中でも悔しさはあって。2年生になってがんばってみようと思ったんだよね。
1学期のテストの結果を受けて、勉強をすれば結果がついてくると実感できて、意識が変わって勉強をがんばれた。
高校受験は、北海道トップの公立高校を目指すことにしたの。
ーー高校受験の結果は?
Kさん:
それが、落ちちゃって。
自己採点でボーダーを超えてたから、出張中の父に「受かったかも」って電話したり、合格発表の日は父、母、祖父母の家族全員で見に行ったんだけど、自分の受験番号がなかった。
もう、シーンとなってカオスだったよ(笑)
ーー当時は相当辛かっただろうね。勉強を投げ出したくならなかったの?
Kさん:
人生でいちばんの挫折だった。私立の高校に入ったけど、家にこもりがちになったな。
そんな姿を見かねてか、高校に入学してすぐ、父から「指定校推薦で早稲田の法学部を目指しなさい」って言われたの。実は、父もその大学に受かったけど、家庭の事情で行けなかったからって。
自分の中に受験に対する恐怖が残っていたし、日頃の行いでチャンスがあるならと思って、心を切り替えた感じだった。今でも勉強していたときのペンだこが右手中指にあるよ。

習い事や部活で集めた、今の彼女を構成するパーソナリティ
ーーキーワード2つ目のクラシックバレエは、Kさんの両手で何を物語っているのかな。
Kさん:
3歳から小学6年生まで習っていたから、今も音楽が好きだというところに影響していると思う。
大学生のころは、携帯を忘れるより音楽を聞くためのウォークマンを忘れたときのほうがショックだったな(笑)
ーークラシックバレエの経験が、音楽が好きという個性につながってるんだね。
Kさん:
3歳のとき、テレビの歌番組で好きな音楽が流れていると、テレビの前で踊り出す子どもだったの。その様子を見て、母がクラシックバレエに通わせてくれるようになった。
バレエが楽しくて、母にお願いして週4回通わせてもらってた時期もあったな。
ーーそれだけ好きだったクラシックバレエを小学6年生でやめて、バレーボール部に入ったのは、なにか理由があったの?
Kさん:
小学4〜5年生からトーシューズを履いて練習するようになったんだけど、どうしても履き慣れなかったの。さらに、成長期で体型が変わって、クラシックバレエをがんばっていきたい気持ちがなくなっていったんだよね。
道内のダンスの合同発表会で、ジャズダンスやヒップホップダンスを見て私も習ってみたい!と思ったんだけど、父は一度決めたことを続けなさい、中学は部活に入れって考えがあったから、テレビで観戦することが好きだったバレーボールをはじめることにした。
ーーKさんの中で、バレーボール部はどんな思い出として残っているの?
Kさん:
食いしばった経験だった(笑)
1つ上の代の先輩が怖すぎて、ちょっとした失敗でも怒鳴られたり。先輩への接し方や上下関係は学べたし、今につながっていると思うな。
彼女の意思決定のすべてに影響した家族の存在
ーーここまでのKさんの話、家族がたっくさん出てくるよね。上京して家族と離れてみてどうだったの?
Kさん:
第一志望の早稲田に合格して上京することになったんだけど、早稲田に入ることが家族と離れる生活になるってイメージができていなかったんだよね。
4月に、北海道に住む父母、祖父母も東京に来て、引っ越しや入学式を見届けてくれたんだけど、浜松町駅で別れるときに人生でいちばん泣いた。いざ離れるとこんなに寂しいんだって。
この進路を選んだことを、ちょっと後悔したな。
東京に住んで9年目なのに、今でもホームシックが治ってない!!
ーー9年目でなおホームシック。パワーワードだなぁ。Kさんの中ではそれだけ家族が大切な存在なんだね。
Kさん:
今考えると、親元を離れたことで人間として成長できたから、この進路でよかったなと思うけどね。
ーー正直なところ、人生でいちばん泣くほど家族が大切な一方で、お父さんに反発してもおかしくない場面があったんじゃないかと思ったの。Kさんの中にそういう気持ちはなかったのかな。
Kさん:
「反発できないくらい厳しかった」が正直なところかもしれない。
高校受験で志望校のランクを落とすことを許されなかったり、クラシックバレエを一度始めたんだから続けなさいって言われたり、トップを目指してがんばり続けた。
厳しい父にほめられたい。それを目標にずっとがんばってきたって感じかな。
でも、やらなければいけない義務感と同時に、やり遂げたいって気持ちがどの経験でもあったなと思うんだよね。
今では、高校や大学で勉強を続けて卒業できたことが、努力して結果がついてきた経験になって、自信につながってる。
クラシックバレエも、バレーボールも、今の人間性や音楽・ダンスが自分を形成するものになってる。
どれも、やらせてもらったことに感謝してるよ。
ーーKさんの中で、義務感だけじゃなく自発的な気持ちがあったから、腐らずにやってこれたのかもしれないね。
Kさん:
たしかに。社会人になって昔のことを思い出す時間が全然なかったなぁ。
自分の中に「努力は必ず報われる」ってモットーがあるんだけど、いろんな経験からそう思っているんだなって気づいたよ。
ーーKさんの中にも気づきが生まれた時間になったなら、よりうれしいな。ありがとうございました!
さいごに
仕事で関わる彼女の印象は、「芯が強い人だな」でした。
一度決めたらやり遂げる性格が前面に出ていたからでしょう。
同時に、まわりに弱音を吐かず、ひとりでがんばり続けているように見えていました。
彼女の両手が物語ることを教えてもらった今、反発できないものを受け入れる力を兼ね備えているから、真摯に向き合い輝けていたのかと納得しています。
そして、インタビューを通して気づきました。
彼女はひとりだったのではなく、離れていても変わらず家族がついていたのだ、と。