
カンボジア屋台での手仕事が、自分のわがままと社会的価値が合致する幸福感を教えてくれた
両手が物語ることを教えてくださいと問われたら、あなたはなにを思い浮かべるでしょうか。
今回取材したのは、対話のコミュニティ仲間のみかんぬさん。
外資系人材会社でSNS広報を担うかたわら、キャリアコンサルタントや編集者として活動されています。
このインタビューでの主なエピソードは、【2ヶ月間カンボジアでひとり屋台を経営したこと】。
2ヶ月間のカンボジア、ひとり屋台の経営…たいていの人は経験しない言葉が並びます。20代前半にひとりでカンボジアに飛び立ち、屋台を経営する経験を積んだみかんぬさん。屋台をはじめたきっかけは、こちらのnoteを読んでいただくことをおすすめします。
「しょっぱなから本人のnoteを頼って…」と自分でツッコミを入れましたが、インタビューをしながら、この経験は1時間でとても聞ききれないと思ったのです。
みかんぬさんの手は何を物語ってくれるのでしょうか。

私のままで生きていくために買ったネックレス
ーーみかんぬさんの両手が物語ること、思いついていますか?
みかんぬさん:
うーーーん(両手をながめる)
1年ほど前に購入したパワーストーンの指輪は、外出するときに必ず身につけていますね。
ーーお守りのような意味合いがあるのでしょうか。わたしも、自分へのクリスマスプレゼントに購入した指輪を毎日つけています。
みかんぬさん:
いてくれたら安心だなという気持ちはありますね。
指輪のほかにも、太陽のネックレスは自分で買って身につけている物の中でいちばん好きかな。
自分のことを陰の気が強い人間だと思っているので、外見だけは太陽のようでありたいなと思って自分で購入しました。元々持っている陰の気がなくなることはありませんが、同じぐらいの太陽感が育ってきたなと思っています。

このネックレスを購入したのは、2019年に2ヶ月間、カンボジアに行ってひとり屋台を経営して帰国したときに「カンボジアにいたときの自由な自分を忘れないために、自分が好きなものを身につけよう」と計画したからです。
カンボジアにいた時の無邪気な私のまま日本でも生きていきたいと思っていて、ネックレスは自由を表現するためのひとつの足がかりだったと思います。
そういえば、両手が物語ることからカンボジアの経験も思い浮かんだのですが、自分でもカンボジアの話から手が連想される意味がわからん!となっていたんですよね。
ーーそうだったんですか!なぜ両手からカンボジアでの経験が思い出されたのか、おききしたいです。わかるところまでで結構です。
カンボジアの屋台で経験した「私だってやればできる」
みかんぬさん:
そうですね。今言葉が浮かんだのですが、思い返すとカンボジアでの仕事は全部手仕事だったんです。

カンボジアでは、照り焼きチキン屋台をしていました。
まず、朝7時に起きて市場に行き、お肉屋さんのお姉さんに会いに行って、「今日は10キロの鶏肉が欲しい」とジェスチャーや電卓で伝えます。カンボジアの母国語はクメール語ですが、私はクメール語はもちろん、英語もほとんど話せなかったので、とにかくジェスチャーで。
毎日鶏のもも肉と手羽先を30個ずつくらい仕入れて、市場からアパートの6階にある自宅まで手運びします。2ヶ月でめちゃめちゃ腕が鍛えられました(笑)

それから14時までは仮眠をとったり、noteを更新したり、収支計算をする。14時から仕込みを開始。もも肉は骨付きの状態なので、食べやすく火が通りやすいように骨を叩いて砕きます。そのあとは3〜4枚ずつ下茹で。17時ごろまでこの作業を繰り返して、終わり次第急いで開店します。
照り焼きチキンは炭火で焼いていたのですが、真っ黒の炭は火を起こすまで時間がかかることが初日にわかりました。それから毎日、隣の屋台のお兄ちゃんに、「この真っ黒い炭をあげるから、その火がついた炭をいくらかください」と身振り手振りで伝えました。

ーー調理だけでなく、現地の方とのコミュニケーションもジェスチャーだったのですね。みかんぬさんにとって、カンボジアでの経験はどのような思い出になっていますか?
みかんぬさん:
自分が生まれ変わった感覚がありますね。カンボジアから、本当の私の人生がはじまったように感じています。
カンボジアへ行ったのは、生まれ変わりたいという気持ちとこの場から逃げ出したいという気持ちからでした。
社会人2年目の終わりに、新卒で就職した会社を退職したのですが、長いものに巻かれたり忖度をしたりする社会に対して「どうしてこんなことが起こるのだろう」と思っていました。また、新卒同期たちが自分たちの志を諦めていく姿や病んでいく姿をみていて、自分の想いを諦めざるを得ない社会に対しての怒りもありました。
一方で、自分が結果を出せていないからこそ何も言えない現実があって、「私だってやればできるんだ」ということを自分自身に証明するために屋台をやることを決めました。
カンボジアという国に決まったのは、当時のTwitterでたまたま「カンボジアで屋台を引き継ぎたい人はいないか」との投稿を見つけたのがきっかけ。カンボジア屋台での目標は、黒字化を達成して自分に自信を持つことと、後継者を探すために毎日noteを更新することだったのですが、どちらも達成し自信にもなりました。
無邪気な自分のままで、社会的価値を出せるようになりたい
みかんぬさん:
私にとって屋台での経験は、100%自分のわがままで始めたことが、お客さんに価値を認めてもらえた、その対価としてお金をいただくことができた経験なんです。
カンボジアでは、無邪気な自分のままで思いついた「屋台をやりたい」という自分の意志で動いていった結果、屋台を経営することが叶いました。しかも、お客さんの9割がローカルの方でリピーターも多く、買ったら目の前で喜んで食べてくださる方もいて、それが本当に嬉しくて。
だからこそ、日本に帰ってきたあとはしばらく絶望していました。
カンボジアで経験が大きすぎて、普段の自分とのギャップがありすぎて。屋台のときのような状態を日本で実現するためにどうすればいいのかと考え続けていたのですが、帰国した私にできることは結局会社員に戻ることでした。「私はなにをしているんだろう」と、2年ほどSNSからも離れましたね。
ーーさきほど、「カンボジアにいた時の私のまま日本でも生きていきたい」とありましたが、具体的にはどんな状態を指すのでしょうか?
みかんぬさん:
自分が意志を持って取り組んでいることが、社会的にも価値があると思ってもらえている状態かなと思っています。
カンボジアへ行ってから5年、この経験がなぜこんなにも大事だったのかをずっと考えていました。
最近、屋台を経営していたときの自分は自己実現と社会的価値が両立できていたのだと気づいたんです。今後は、日本でも自己実現と社会的価値を両立していけるような働き方や仕事を自分なりに探して築いていこうと思っているので、今こうして話せてよかったです。

ーーみかんぬさんのカンボジアでの経験の濃さが伺えたし、「手仕事」というキーワードを見つけてくださりうれしいです。ありがとうございました!
さいごに
みかんぬさんのインタビューを終えて、経験のすべてを理解することは難しいけれど、彼女の”現在地”を切り取るお手伝いができていたらいいなと感じました。
彼女の中にある語りきれない現地での手仕事の数々、自らの手で自信をつくり、達成したゆえの絶望など、これからも少しずつ知っていきたいです。
また、みかんぬさんの言葉を受け取りながら「これは今、わたしが悩んでいることだ」と共感する点がいくつもありました。
みかんぬさんは、カンボジアでひとり屋台をするというちょっと特殊な経験から、後続に悩む人たちへのヒントを授けてくれている気がしています。