初回。アタシとメンヘラという文化

『辺りには埃が舞っていた。その埃が雪のように見えて、とても綺麗だと感じたことを今でも覚えている。』


という痛い自作のポエムで始まったが、実のところこのnoteはファッションメンヘラがオーバードーズもリストカットもせずにただ、どうでもいいことを書き連ねていくだけの場所である。




書くことがなくなった。

まずはメンヘラといえばのリストカットとアタシについてでも書こうか。アタシがメンヘラという文化に初めて触れたのは、恐らくまだ小学生だったころであろう。
そのころインターネットではトー横だの地雷系などが少し流行り始めていた。(ティックトックなどが全盛期のころであった)

キラキラのぷっくりとした涙袋につやつやの髪。それは幼いアタシにとっては憧れの存在であった。
そういった所謂『地雷系女子』という文化を追うにつれ、アタシはTwitterの病み垢界隈へと辿り着いた。
日々呟かれる「しにたい」「くるしい」という感情。幼きアタシはそういったつぶやきを見る度にどんどんその文化に魅了されて言ったのであろう。
その最中に触れたのが『メンヘラ』という文化だ。OD、リストカット、依存、早めの厨二病を発症していたアタシは目を輝かせて「やってみたい!」と思ってしまった。(そんな憧れるようなものでは欠けらも無い)
だが中々してみる勇気などなく、2年ほどが過ぎていった。

中学2年生の夏

アタシは普通に厨二病とかその他もろもろをこじらせていた。あと「しにたい」「くるしい」「疲れた」といった負の感情が伝染し、スマホのメモ帳で日々の苦しみを書き散らかしていた。
『そうだ!なんかリスカしてみよう!楽になれそうだし!』
そんな軽々しい気分でアタシはリストカットに触れた。
それまでのアタシは自傷をあまりした事がなかった。強いて言うなら腕に爪を突き刺して赤い傷をいくつか作ることを度々していたくらいだ。
まぁ痛いのが嫌いな初心者がそんなに深く切れるはずもなく、薄らとした血も出ないような線だけが手首に残った。
だが思い出して欲しい。この見出しに書いた通り季節は"夏"だ。ここまで言ったら皆様は分かるかもしれない。

そう傷に汗が染みたのだ


普通に痛かった。なんなら線をカッターでつけた時よりも痛かった。
アタシはリスカを二度としないと決めた。


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