私の宗教体験③

 こんにちは、宗教二世です。今回も天理教を信仰していた時の話を私視点で書きます。

 天理教を信仰していた時の話を書いているので、もちろん私はすでに天理教との関わりは無く、同世代の信者とも連絡はとっていません。今回は天理教から離れた時の話を書きます。

友達とのズレ
 小学生の頃は、天理教の教えを疑うことなく信じていた。それは私自身が無知であったから、そして教えを信じることで周りの信者からは褒められてうれしかったからである。しかし、思春期を迎えたころ教えを知らない私の同級生たちは青春を味わう、(恋愛・休日には友達と街へ遊びに・部活等々)どれもこれも天理教に入信している学生信者にはしたらいけないこととし教えられているものばかりである。当時の私は、同級生たちを心のどこかで「こいつらは幸せになれない、きっと不幸になるんだ。」と思い信じ、自分の行動が正しいことだと信者同士で話のタネにした。
 私が教えを信じ異性と話さず、部活も参加せず、スマホ(学校の子たちはほとんど持ってた)すら持たない学生生活を送っていた中、私と同い年の信者(同じ楽器を使っている子)は理由をつけ部活に参加し、スマホを持っていた、親や信者達に笑顔で部活内の話をする彼らを見て私は学内・宗教内で疎外感を覚えるようになった。

性犯罪者①
 私が性被害にあう前に、同世代の信者内である話を聞いた。夜中になると楽器隊の全体指揮を執っていたリーダーが、寝ている信者の手を使ってオナニーをしているところを見たと。証拠もないので見間違いか質の悪いほら話だと思ってその時は聞き流した。
 その日、私はいつも通り宗教施設で寝ていた。夜中に違和感を感じ目を覚ますと後ろ髪を手櫛でおろすように触られていることに気付いた、そして同時にお尻の部分に何か当てられていることにも気付いた。そしてお尻の部分に当てられたソレは、ブレるような動きをしていた。この時点で私は誰が何のために私の後ろにいるのかが予想できた。この場から逃げようかと思ったが、相手は大人羽交い絞めにされこれよりひどいことをされるかもしれないという恐怖が勝ってしまった。私は早く意識を失いたいと思った、そしてソレが出す感触を感じたころやっと解放されたと思った。本来ならここで飛び出してどこかに逃げるべきだが、混乱していた私はそのまま寝入ってしまった。

性犯罪者②
 事件から数か月、私は社会(学校)と宗教内でのギャップと自由になりたい衝動によって施設に行くことを拒むようになっていた。親しい信者に理由を聞かれた際、やめる理由が上記の二つだけだと味気ないなと思い、数か月前に男に襲われたから気持ち悪くて行けないと答えた。信者(以下U)は私が思いもしない返事を返した。「俺もされたよ、ほかにも(私とU以外)2人その人に似たようなことされたよ。」話を聞けば性犯罪者は無意識(若干の意識がある夢の中にいるような感じ?)でそういったことをしている記憶があると施設の幹部に話していたらしい。私は被害者の多さに驚くとともに制御のできない獣を野放しにしている施設の管理体制に驚きを隠せなかった。当時施設には、小学校低学年・幼稚園生・保育園児が泊まることがあった、性犯罪者は住み込みという形で宗教施設に住んでいるため泊まる=性被害にあう可能性があるということになる、一通りの話を聞いた私はより行くことを拒んだ。

親と信者
 行くことを拒むと親は問う、なんでいかないのか、楽しくないのか。逆に問いたかった、なぜそこまでして行かせたいのかと、理由は聞かなくても分かる邪魔だから、デキ婚でそのまま惰性で育ててきた子供、しかも思春期で一番捨てたくなる時期、施設に送れば二日は顔を見なくてすむ、その間は結婚してからできた子供を愛せばいい、実際私が愛されてたのか愛されていなかったかは知らないが愛は感じなかった。喋ることよりも吠えることのほうが多い母と精神病棟に送ろうとする父も恩知らずだの前世人殺しだの好き勝手私に言ってきた信者達を神様はきっと幸せにしてくれるのだろう。彼らはそれが善いことで徳が積めることだと信じているのだから、私はきっと来世は虫けらか障害者になるのだろうなぜなら教えに疑問を抱き拒み否定するのだから。

 私は宗教に対して思うのは、オウム真理教教祖 麻原 彰晃によって殺害された坂本弁護士の言葉だが。上祐史浩の「信教の自由がある」という発言に対して言った、「人を不幸にする自由などない」この言葉に尽きる。


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