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既婚ゲイの滲む涙

あさなくまさんのtwitterアカウントとお書きになるイラストが大好きです。出版されたコミック・エッセー「あさな君はノンケじゃない!」も買いました。わかる!わかる!なんて思いながら、何度も読み返しています。僕の書斎の机に、専門書(英独仏語の原書とか)や色々な本に混ざって、何事もないように並べられています。今はラカンの「四基本概念」と谷崎選集(新潮社のあれ)の間に挟まれて、ちょこんと座っていはる。

この記事のトップ画像はそのエッセーの一コマです。この表情にグッと来ます。この一つ前のコマは以下のようなものです。

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分かるなー、解るなー。
僕は誰にもカミング・アウトをしたことがありません。僕がGであることを知っている方は、お互いがGであることを認識した上で知り合った方ばかりです。両親も兄弟も(もちろん親戚も)、妻も、会社の同僚も、学生時代の友人も、誰も知らない。言った方が楽になるかも、なんて時々思う一方で、言う必要なんてあるんやろか、なんて思う時もあります。

「分かって欲しい」そして「分かって(解って)くれるだろう」と思える人に出会えたら、言いたいな、と思います。反応が見てみたいし(もしかしてバレていた?)、何より「既婚ゲイ」であることについて、切実に「懺悔と告解」したい。ただ両親には、僕の個性・一部・性格として「実は〜」なんて言ってもみたいところですが、やっぱり絶対に言えない。言うことなんて許されない。母は泣き崩れるだろうし、父は「なんてみっともない」なんて怒鳴るだろう。そして、絶交・勘当されるのでしょう。これが仮に両親が亡くなった後でも、墓前ですら言えない気がする。祖父母も曽祖父母も高祖父母も、その上もそのまた上も、さらに上のもっと上の・・・そのような皆々様が、僕を睥睨している。

「子どもを作って家を継いでほしい」
という父の期待を裏切っている負い目があること
・・・(中略)・・・心の底では「認められたい」と願っていること

こう書き写しながら、本当にわかる。わかる。わかる。わかる。主人公のあさな君は、お母様にはカミング・アウトをしているようです。いつも自分を重ねて読んでいるけれども、僕には無理だな、なんてここだけは距離を感じていまう。

僕の代で終わりかー。
そういえば、たいち君のチェロは久しく(15年も)聴いていないな。たいち君はいま何をしているのだろう。幸せにしているのかな。結婚式に呼んで、チェロを弾いてもらえたら、なんて妄想をしたこともあるけれども、たぶん号泣してしまうでせう。

そろそろ寝ようと思います。チェロを聴きながら。今夜はこれを聴いてみます。彼が大好き(だった)曲です。たいち君が弾いていると思いながら。おやすみなさい、たいち君。どうか明日も元気で過ごしてください。そして、皆さんも。

僕はこちらの方が好きだなぁ笑:https://youtu.be/MQw90GSR9Lk
彼はペレーニというチェリストが好きだったんです。

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