就活ゲシュタルト崩壊
大学の教員になる前の民間企業時代からときどき学生からの相談を受ける機会がありました。
そして、その相談内容は学部の教員となって3年目の今もほぼ同じです。
「私は何が得意なのでしょうか」
「私の強みはなんなのでしょうか」
「私は何がしたかったのでしょうか」
「私はなぜ、こんなにもだめなのでしょうか」
といったものです。
この手の相談は、最初は何も自己分析も経験もしてきていないために、生まれる質問かなと思っていました。
しかしながら、どうもそうではないようです。
大学時代において、早いうちから自分が社会に出ることを想定し、アルバイトやインターンシップを含めて積極的に取り組み、また勉強という点でも自ら問題意識を持って取り組んできた学生だとしても同様の相談をしてくる場合があります。
就職活動のための”過剰な準備活動”において、自己分析として自分自身と向き合った中で過去考えたり挑戦したり、取り組んできたことへの自信を喪失してしまい、自らのつかみかけたアイデンティティがあやふやになってしまう状況です。
(私の講義を受けた学生ならゲシュタルト崩壊わかるはず。。覚えてるはず。。。)ゲシュタルト崩壊とは、ものすごくざっくりと言ってしまえば、私たちは目に見えるのもを勝手に組織化して過去学習してきた意味のあるものに認識して判断します。しかし、組織化されることで意味を見いだすはずなのに、組織化されたものの一部を見つめすぎると、全体として捉えられなくなり、全体像さえも意味のあるものに見えなくなってしまう状態です。例えば、「体」という漢字の右側は「本」ですが、この部分ばかり見ていると、「体」という漢字をみてもカタナカの「イ」と「本」というふうに見えてしまい、「体」という意味に捉えにくくなる現象だったりしますね。
要は見つめすぎなことが多いのです。
一人で自分を見つめ過ぎなのではないでしょうか。
特に、強い不安な気持ちを抱え続けた状態や強い緊張状態で長時間の自己分析や度重なる自己分析をしてしまうと、どうしても自分の足りない点ばかりに目を向けてしまって、しっかりと取り組んできて生み出した成果さえも足りないところに目を向けたりしていく中で、自分像がつかめなくなってしまうのです。
まずは、自分のいいところ、自分が挑戦したこと、そして気づいたり、学んだ事にフォーカスして、早いうちの面接を受けてみることが大事です。
または、失敗や足りない点ばかりに目を向けるのではなく、その失敗だけでなく、挑戦したことを含めて俯瞰して全体を見てみましょう。
こういった状況に陥っている状態で第一希望の会社を受けることは避けた方がいいのではないかなと考えます。
面接においても、前向きに冷静に自己評価をしながら対応できる状態で挑むことをおすすめしたい。
言ってしまうと単純ですが、まずは場数だと思う。
こう言うと企業の人事的には「えー、やめてよー」って思うかもしれないけど、学生に伝えるとしたら、まずは自分を少しでも前向きに評価できるマインドの段階で、大本命とは言わないまでも少しでも関心のある会社を受けてみるべきだと思います。
(企業の人事的には、採用説明会・筆記試験・1次面接・2次面接・最終面接などの各ステップも学生の応募動機を強くさせ、会社に憧れや関心、好奇心、夢をもってもらう勝負どころであり、記念受験や練習だったとしても最終的に「この会社で働いてみたい、この人と働いてみたい」と思わせられるかどうかが人事や経営陣の力ですからね)