【小説】二番目のシンデレラ -57-
「大切にしなさい。好きなことと、好きになった理由を」
「好きになった理由?」
男の人は、入り口に向かって歩き出した。そのとき、やっと顔が見えた。
「あっ、肖像画」
話していたのは、ハリソン校長だった。そうだとわかったときには、すでにハリソンの姿はなかった。眩しい朝の光だけが、入り口から射しこんでいた。
「好きなことと、好きになった理由」
ミチルは、部屋のベッドに座って、ハリソンに言われたことを繰り返した。そのままバタンと後ろに倒れる。
右側に半分転がると、枕元の本を手にとった。天井に向かって本をかかげる。よれたシワをのばすように表紙を撫でた。
『空色の桟橋』
この本がはじまりだった。物語が好きだと思ったのは、ここからだった。表紙を開けると、カバーの折り返しのところに著者名が書かれている。
『愛里結月(あいざとゆづき)』
この人が書いた本は、この一冊しかなかった。図書館や本屋さんで探してみたけれど、見つからなかった。古本屋さんにもおいていなかった。
「なんで、特別なんだろう」
表紙を見ながら、考える。
母さんからもらったから。はじめて読んだ小説だから。この人の本が一冊しかないから。どれも当てはまる。けれど、なにかが足りない。大切ななにかが――。
『ミチル……、……大好きだよ』
母さんの声が聞こえた。
全部は聞きとれない。
記憶が、すぐそこまで来ている。
なのに、掴めない。
形を成さずに、拡散している。
嬉しかった――気持ちが、先にもどってくる。
大事なこと。それはわかっている。
もう少し――。
「ミチルさん」
グレイシーの声が聞こえた。
ミチルの思考は扉を閉じた。ミチルは本をおくと、立ち上がって部屋の扉を開いた。廊下には、グレイシーと、後ろにルークが立っていた。
「ごめんなさい、ミチルさん」
グレイシーは、申し訳なさそうに、そう切り出した。
「あなたを、あなたの世界に送りとどけないといけなくなったの」
「えっ」
ミチルは、グレイシーを見つめる。グレイシーは、困ったように眉を下げていた。
「急でごめんなさいね」
「どうして?」
「あんな怖い思いをさせたことが原因かしら」
「怖い思いなんてしてないんです。ほんとに」
「でもね、校長先生の意向なの」
「うそっ」
そんなはずはない。さっき廊下で話したではないか。そのときには、そんなこと、ひと言も言っていなかった。
それに、そのときにも、ちゃんと伝えた。怖い思いなんてしていないと。灰色の『なぜ』が心を覆った。