「誰が見てくれているか分からない」
先日行った現場で、エキストラで来ていた方に、
「あら、あなたどこかの現場で会った事あるわね!」と言われた。
ここまでは、よくある話なのですが、思わぬ続きがありました。
「ええと、あれ、なんかタイトルの長い映画に出てたでしょ!
郵便屋さんの役で。観てたら急に出てきてびっくりしたわよ。
でも、知ってる人が出てきて嬉しくなっちゃって。頑張ってるのね」と。
このタイトルの長い映画というのが、
「MONDAYS/このタイムループ、上司に気づかせないと終わらない」
という映画で、ループものの映画なのですが、確かに僕もメインのキャスト以外で唯一セリフのある役で、ループにも巻き込まれています↓
これ、公開当初、自分のSNSでも「出演しています」と言っていて、知り合いも何人か映画館で観てくれたのですが、誰も僕が出ていると気づいてくれませんでした。
昔からの友人の俳優も、メインキャストとしっかりセリフのやり取りのある役で出ていて、その人に関しては、みんな「いいキャラだった」とか「印象的だった」とか、「面白かった」とか言っていて、
「ああ、同じ映画に出てるとはいえ、やっぱりきちんと存在を認知してもらえる役じゃないとダメなんだな…」と、凹んでいました。
もちろん、役割を与えられて、それを精一杯務めて、作品の一部になれた事は光栄に思っています。
「誰が見てくれているか分からない」
という言葉遣いは、
「知らない内に、偉い人が見てくれていて、自分を引き上げてくれるきっかけを与えてくれる」的な意味合いが強いと思います。
でも、誰にも気づかれていないと思っていたのに、1回現場でご一緒した方が、僕の事を覚えていてくれて、しかも、誰も気づかなかった映画の中の僕にも気づいてくれたという事もまた、「誰が見てくれているか分からない」という事でもあるんだなと思いました。
そう、僕の事を知らない人が、あの映画を見て、一瞬でも「また、あの郵便屋が来るぞ」と思ってくれていたら、この映画に於ける僕の役割は充分果たせている。
そうやって、一つ一つ積み上げていこう。