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映画『愛に乱暴』公開前雑記②「映画の原作、先に読むか、後に読むか」

『愛に乱暴』は、すでに説明不要かと思いますが、吉田修一氏の小説が原作となっています。

この、「原作がある」場合の映画の見方で、

「先に原作を読むか、映画を観てから原作を読むか」

という実に悩ましい選択を迫られます。

僕は、出演する立場上、今回は先に原作を読ませていただきました。

今回、僕があくまで個人的におすすめなのが、

「先に映画を観てから原作を読む」という順番です。

基本的に、長編小説を映画化する際、ほとんどの場合、尺やらなんやらの関係で原作を泣く泣く省略する事になります。

泣く泣くです。

原作を読んで映画化したいと思った監督やプロデューサーも、小説として「完成」されたものを観て「良い!」と思った訳ですから、それをそのまま映画化できればみんな万々歳です。

しかし、前後編や、3部作になる事が決定しているならまだしも、長編小説を2時間に収めるとなると、それはどうしても原作全てを描き切れない部分が出てきてしまいます。

特に、『愛に乱暴』は文庫本で上下巻になるほどなので…。

しかも、最近は、「90分くらいがちょうどいい」みたいな風潮も出てきていますしね…。

そこで、原作の良いところを残し、言いたい事、伝えたい事、描きたい事をぎゅっとする省略の作業が行われます。

僕が勝手に映画の師匠だと思っている監督は、

「いい映画は、省略がうまい」

と言っていました。

愛に乱暴は、その省略がすごく的確に行われています。
そう、つまり「いい映画」なんです。

正直、先に原作を読んだ僕が、「ああ、このシーンいいな。撮影は難しそうだけど、どう描かれるんだろう」と思っていたシーンも、映画ではカットされていました。
でも、別のシーンでは「あ、ここをこうやって省略しているのか!」という感動すらありました。

小説の『愛に乱暴』が、小説として完成しているのに対し、
映画の『愛に乱暴』もまた、映画として完成しています。

だから、まず映画を観ていただいて、それから小説を読んでいただいて、

「ああ、こういう事もあったのか!」

「こういうところが省略されていたのか!」

「映画化不可能って言われてたのは、こういう事か!」

という作品に対する理解をさらに深めて楽しんでいただき、その上で映画をもう一度観ていただくと、1回目とはまた違った楽しみ方をしていただけるかなと思います。

そうすると、僕の役(桃子の弟)とその家族についても、「なるほど」と思っていただけるかもしれませんし、その後のあの印象的なシーンにも、より惹かれるものがあるのではないでしょうか。
(あんまり言い過ぎると怒られるので、やんわりと…)

あと、まっさらな状態から小説を読む時、いつも登場人物の造形は、細かい描写がある事もありますが、自分の中で生まれたイメージで読み進めていく事になります。
それがぼんやりしたまま読んでいくこともあります。
でも、映画を先に観て小説を読むと、頭の中で江口のりこさんの桃子が躍動して、脳内イメージがすごく豊かになって、読む手が止まらなくなります。

あくまで、個人的なおすすめですので、映画も小説も、何度もお楽しみいただけたら幸いです。

僕が、関係者試写で、完成した映画を観た時、本当のラストのラストで、
映画でしかできない、映画だからできる表現を目の当たりにして、ものすごく「映画」を感じました。

本当に、僕が果たした役割はちいさなものだったかもしれないけど、
「映画」に関わる事ができたんだなと、すごく心が満たされた感覚がありました。

もちろん、もっと作品の深いところに関わる役で参加できるようにならないといけない、と覚悟を新たにしました。

みなさんにとっても、何かを考えるきっかけになったり、何か得るものがある、そんな映画体験になったら幸いです。

※映画を観る際は、一旦、僕の存在は忘れてご覧いただけたらと思います。(謙遜とかではなくて、ノイズになってしまうので)

#江口のりこ #小泉孝太郎 #馬場ふみか #風吹ジュン #森ガキ侑大 #吉田修一 #愛に乱暴


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