「推し活」による社会変化
ユーシロです。
アイドルから、アーティスト、声優まで何か特定の対象を応援する「推し活」が老若男女を問わず一般に広がっています。11月23日に公開された北野武監督作品の「首」を観に行った際、50代の北野ファンがいて、「この日を楽しみにしてた」と童心に帰るような喜びようだった。
「推し活」ブームについては、単身者の増加や孤独感との関連で語られてきた。また、その熱狂ぶりから「宗教のようだ」と言う人も少なくない。カリスマ的な人物と崇拝者という関係性が宗教っぽく映るのだろう。
単身者の増加や孤独感は、「推し活」を促す背景要因の一つではあると推測されるが、家族がいても孤独を感じていなくても「推し活」にハマる人は多い。
ある社会学者は「推し」の心理を研究した結果、「推し」は「恋愛に近い感覚」であり、しがらみや自分の自我から解放されて、自分の代わりに頑張っている「推し」を応援しているという結果が出た。
これはシニア層にも「推し活」が拡大していることを上手く説明しているところがある。家族以外の想像性によって疑似恋愛な欲求を満たすというのは、非常に興味深い考察だ。確かにリアルな関係性は様々なリスクがあり我慢しなければならないが、想像的な関係性は少ないリスクで快楽に集中することができ、自分の世界を楽しめる。
だが、一番の原動力はコンテンツを介して他者と繋がれることや、イベント要素ではないだろうか。
コミュニティなき時代において、見ず知らずの他人と容易に、かつ緩やかにつながれる機会は激減した。そこに来て、特定のコンテンツへの愛着を表明することで結び付き、交流できることは、コミュニケーションと気分の高揚になる。
特定のコンテンツとともに人生を歩む「推し活」は、ハードルが低く、イベント気分が味わえる。それによって自由な選択が出来る、自律的な主体を取り戻せることであり、それがこの活動の熱量を支えていると考える。
例え飽きたとしても、いつでもすぐに止めれたり、偶像がつまらなくなれば捨てることができ、別の魅力的なモノに飛び付ける。「推し」の数に制限はない。
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