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芸術家になりたかった

芸術家になりたかった。

どうしようもない、扱い方のわからない感情を
自由自在に絵や彫刻に閉じ込めて、解放されたい。

絵も歌も上手ではない自分は、
誰かが爆発させた感情に、作品に、
しがみついて生きることしかできない。


それでも何とか自分だけの感情を認めるために、
こうして言語化している。

これが、詩という形の芸術として認められたらいいのに。
そんなことが自分にもできるのだろうか。

言語化の限界を超えた感情を、言葉にならない思いを、
絵や音に閉じ込められたら、どのように感じるのだろう。


草間彌生も、田名網敬一も、取り憑かれたように死を考え続けてきた。
死と向き合いながら生きて、数多くの作品を残してきた。

死という概念への執着に、芸術という形を与えられない自分は、
病んでる?と聞かれないように、誰にも見つからないように、
ひっそりと死を見ることしかできないのだろうか。


大好きな秋山黄色の歌詞も、古市憲寿の『平成くん、さようなら』も、
自分のもやもやした死生観を言語化してくれる宝物。

絵や歌ができなくても、言葉にすることならできる。
彼らの歌詞や小説のようにたくさんの人の心に届くものは書けなくても、
自分の感情が溢れないように、ここに拙い文章を残していこう。

こんなことを考えながら生きている人間は少数派らしい。
だからこそ、たまたま見つけてくれたあなたには感謝しきれない。


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