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カンボジア旅行記②負の歴史を抱えて
旅行記の②がこんなにも重い内容か…とも思うが、衝撃をうけた内容であるのでいち早く記録に残しておきたいという思いでこれを記す。
1976年に民主カンボジアを樹立し、自国民を大量に虐殺した、クメールルージュの悲劇を知っているだろうか。
概要
共産主義国家「民主カンプチア」の樹立を宣言したポル=ポトは、反都市・反貨幣経済・反知識人という徹底した農本主義的共産主義を掲げ、当時の4分の1以上の自国民を、体制への反逆者として殺害したこと。
これまでの、日本の義務教育の社会科の学習では、触れられていないことから、大学生までこの出来事については、知らなかった。
ヒトラー率いるナチスドイツのユダヤ人虐殺が、義務教育課程の社会科教科書に留まらず道徳の教科書などにも載っている一方、この出来事を取り上げている教科書を私は知らない。おそらくないだろう。
普段相手にしている、中学生にこの話をすること。
あるいはどこまでこの話を、何の目的でするか。
非常に悩ましい。
ブログにまとめることについてのためらわれる内容でもある。
しかし、トゥールスレン虐殺博物館で借りられるオーディオガイドはこう締め括られる。
「あなたが、次の記憶の保管者です。あなたの周り、来るべき世代の人に伝え、人間の尊厳、思いやり、平和を共に作り上げていきましょう。」
実際、当時のカンボジアの人口の4分の1を虐殺するという嘘のような本当の悲劇があったのである。二度とこのような悲劇を、地球上のどこででも繰り返さないように、歴史を語り継ぐ義務がある。
そう感じてここに、残すのである。
以下、写真も掲載するのは載せてもギリギリ大丈夫かなという一途である。実際に行くともっと目を背けたくなる展示もある。
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カンボジアの人口ピラミッドを見ると、40歳から44歳の人口が、不自然に少ないこことが目につく。
この統計は、2019年のものなので、40歳~44歳といえば、1975年~1979年の間に生まれた人たちである。
ポル・ポト政権下の大虐殺他、強制移住等の影響が非常によくわかる。
この年代といえば、社会においては経験や実力が一番身に付き、ミドルリーダとして社会をけん引していく年代である。この年代が、ごっそりいないことが、なにかカンボジア社会への負の影響があるのでは?と考えてしまう。
キリングフィールド
プノンペンの南西約15キロにチュンエク村にある。
このような虐殺場所「キリングフィールド」は、カンボジア全土に300か所以上確認されている。
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トゥールスレン虐殺博物館
ポル・ポト政権に対する「反革命分子(スパイ)」の容疑にかけられた人物は、ここに収容された。
記録では、約二万が収容された。そのうち、ここから生還できたのは7人。
激しい尋問と拷問は、無理やりありもしない容疑を認めさせ、処刑する口実作り上げるために行われたのである。
農本主義的共産主義を作るために邪魔とされた「知識人、技術者、僧侶など」の人々が、次々とここに送られた。中には、眼鏡をかけた人、手が柔らかい人が捕まった。
激しい尋問・拷問の上先述の、キリングフィールドへ送られ、虐殺されていったのである。
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行き方等
プノンペン市内からトゥクトゥクで20分程度。トゥクトゥクドライバーと交渉し、往復にするか、トゥールスレンとセットで行くのが良い。
往復+トゥールスレンで15ドルでお願いした。
【時間】 それぞれ、最低でも90分
じっくり聞いたら、それぞれ2時間。半日は、確保したほうがよい。
・どちらも、オーディオガイドを借りることをお勧めする。深い理解と共に、関係者のインタビューなどを聴くことができる。
【料金】
キリングフィールド 6ドル(オーディオガイド込み)
トゥールスレン 10ドル(オーディオガイド込み)
最後に
このことを知らない人も日本人がほとんどであるだろう。わざわざ観光にいって、見るべきところなのか?という思いもある。
しかし、人類の負の記憶として知ることには大きな意味があると思う。
この二つに行くことで、理解が深まることは間違いない。しかし、一つだけでもカンボジアを訪れた際には、行ってみて欲しい。
歴史を教えるものとして、どうにかこの出来事を何かの形で伝え、「記憶の保管者としての役割」を果たしたい。