もりた ゆう
つぶやき記事をまとめています。
母がお世話をするはずだった叔母さんについて。終活、お墓のことなど。
介護する家族ではない、私「もりた ゆう」の日々。出かけたところ、観た映画や舞台のこと、読んだ本、心が動いたことあれこれ。
2023年夏から始まった両親の介護について書いた記事をまとめています。
クリエイターさんたちの素敵な記事たち。
はじめまして、もりた ゆうです。 改めましての方にも読んでいただけると嬉しいです。 noteでの名前は推している方の名前のアナグラム風。 ちなみに本名とは一文字もかぶっていませんが、ゆうさんでも、もりたゆうさんでも、お好きなように呼んでください。 私のことを簡単に 50代がスタートしたばかり。 夫(単身赴任)、子ども2人の4人家族。 結婚後は引っ越しが多く、引っ越し回数7回。 数十年ぶりに教職に復職。 その間はお花に関わる仕事とハンドメイド作品の講師、一般事務職も経験
副業のほうの人間関係が大変なことになっている。私を含め4名のチームなのに、うち2人がお互いを悪く言っている。私はと言うと、花いちもんめに例えるなら、両方から腕を引っ張られている立ち位置。「どちらにもつかない」がマイルールなので、そろそろこのお仕事も潮時かな。
母には90歳を過ぎた叔母がいます。 お子さんのいない叔母夫婦は、姪にあたる母をとても可愛がってくださり、母も、叔父さんが亡くなられた後は、よく叔母さんを訪ねていました。 その叔母から「色々とを伝えておきたいことがあるの」と電話。 何かあった時のことを母に頼んでいた叔母にとって、母にお願いできない今の状況は不安なのだと思います。そんな気持ちを少しでも取りのぞけるといいなと思い、ちょっと遠くの町まで叔母さんに会いに行くことにしました。お腹の調子がよくないことは内緒にして…(先
今週、救急外来で大きな病院へ行ってきました。 行ったのは、父でもなく母でもなく、私です。 1週間ほど我慢していたお腹の痛みがあり、診ていただこうと胃腸科へ行ったところ、「すぐに大きな病院へ行きましょう!」となってしまいました。そのままタクシーに乗せていただき、救急外来へ到着。車いすに乗せていただき、お手洗いへ運んでいただいたり、CTを撮ったり、点滴をしたり… 「このまま入院になったらどうしよう。。父のことも、母のことも、子どものこともあるのに。。仕事も休めないよ。。」
自分の好きな写真を選んで、スマホにアルバムを2つ作りました。 1つは家族旅行で訪れたハワイの写真。 もう1つは推しの写真。 これは心がざわざわした時に見るためのお守り代わりのアルバムです。 *** 心を落ち着かせるための方法をいくつか紹介しているnoteがありました。その内の1つの方法が「好きな写真をスマホ内のアルバムにして眺めて落ち着かせる」というもの。それを読み、私もやってみよう!と思ったのが作ったきっかけです。 *** 悲しさ、悔しさ、怒りなどで、心がぐちゃ
実家の片づけをする中で、母の手書きのメモにたくさん出会います。 母の宝石類を納めた箱には、ほとんどのアクセサリーBOXにメモ書きが添えられていました。 写真のパールのリングには、「(私の名前)のパールの指輪にしてください」とありました。母が結婚する時に、母親(私の祖母)に作ってもらったものだそう。 他にも、私の名前の付いたメモ書きが添えられた指輪やアクセサリーが幾つかありました。宝飾品が好きな妹と違い、私は本当に宝石類に興味がなく、昔はよく「あなたと話していると本当につ
マシンピラティスで胸式呼吸をしながら、どうにも悲しくて泣きそうになりました。呼吸が乱れると、身体に力が入り、ただでさえうまく動かせない手足が重く重く感じました。 いつもは「無」になれる時間なのに、そうなれないのは心が呼吸できていないからだと分かっています。 原因は両親の介護で自分の時間がもてないこと。 自分の家族や仕事の準備のために空けておいた時間が、イレギュラーな介護のことで埋まっていくたびに、ガッカリする気持ちに蓋をして、自分を奮い立たせていたのがよくなかったのだと思
父が介護老人保健施設(老健)へ入所しました。 入所当日の老健の看護師さんとのやり取りが、小さな棘になって、私の心に刺さったままです。 *** 病院、施設を問わず、必ず確認される項目の1つに、「体調が急変した時の処置について」があります。「心肺蘇生を希望するか」「AEDの使用を希望するか」を、家族またはキーパーソンとなっている人が決めなければなりません。 このやり取りを、本人の居室で、本人から50センチほどしか離れていないところで、口頭で尋ねられ、直ぐにサインするよう促
満月の光で雲が少し虹っぽい色。きれいだな…まだ月や雲や空を美しいと思える余裕があるから、もう少しだけ頑張ろう。
今日から9月。マシンピラティスを始めて4ヶ月目になります。やる気がしぼむ魔の3ヶ月目(!)をクリアできたので、このまま続けていけそう。術後に左足の皮膚感覚がなくなっているので片足だけのトレーニングは少しキツイけれど、胸式呼吸で整う感じを楽しみながら、細く長く続けたいな。
8月最終日。 台風が過ぎた頃を見計らい、部屋の中に避難させていたベランダの花たちを元の場所へ戻し、たっぷりと水を注ぎました。ゆっくりした台風だったので、予定を変更したこともありますが、久しぶりにしっかりと自然災害への準備を考えることが出来て、それはそれでよかったなぁと思っています。 *** noteが書けなくなって1ヶ月半。この間に、また父が倒れて入院しました。そして今回は、恐らく家に戻れそうにありません。父はまだこのことを知らないので、家ではない場所で暮らすことになるよ
6月の写真より。 上の子つながりの友人たちと出かけたお寺は「花の寺」として認定されているそう。この日は紫陽花を浮かべた水辺がとても美しくて儚くて…一瞬、蒸し暑さを忘れました。
私のクラスでは、今学期、パリオリンピックにまつわることを紹介するコーナーを作っている。聖火は今どこを走っているの?マスコットキャラクターは?メダルは?競技が行われる会場は?など。大人になって「パリオリンピックの紹介コーナーがあったよね」とほんの少しでも覚えていてくれたらうれしい。
5月からマシンピラティスに通い始めました。 ヘルニアの術後、整形外科の先生や理学療法士さんに 「やったほうがいいよ」と勧められていたのだけれど、 何だかタイミングを逃してばかり。 気付けば、術後から8年も経っていました。 それが4月のある日、中学の同級生から「面白いよ!」 と聞いて、すぐに体験レッスンを申し込み、 えい!と勢いで始めることになりました。 ピラティスとは、ドイツ生まれのフィジカルトレーナー ピラティスさんによって考え出された リハビリを目的としたエクササイ
4月末に母の面会へ。最寄り駅を出ると昔ながらの公園があります。藤棚の蜂を驚かさないように近づいて…写真を撮りました。ついに母の中から私が消えた日。年明けから何となく、そんな感じがあったからショックではないけれど、とうとうきたかー!という気持ち。予想より病気の進行が早いのでは?
調子のよい日も悪い日も、書き続けることで、いつしか自分を客観視できるようになるらしい。心配事や悩みを「書く」=「外に出す」ことで、自分から切り離して考えられるようになるのだそう。ちょっとやってみようかな。