時間の質と老いと死
日頃、死について考えていることを、ゆるゆると書いていきます。
今回は、本川達雄『生物学的文明論』という本を読んだので、そこから死について考えたいと思います。
※私の考えたことを書いていくので、本の内容には詳しく触れませんが、これから読む予定の方にはネタばらしになってしまうかもしれないのでご注意ください。
この本は、ナマコの研究をしている著者が、生物学的な見方で社会問題、環境問題を捉えたものです。社会問題へのアプローチもとても面白いのですが、今回は生物学から見た老いや死について考えたいと思います。
突然ですが、動物が一生で使うエネルギーの量は決まっているそうです。ネズミとゾウでは、寿命が全然違いますが、1秒に使うエネルギーの量はネズミの方が多いので、一生で使うエネルギーの総量は同じになるそうです。このことから著者は、ネズミはゾウよりも時間を早く感じており、ゾウは時間をゆっくりと感じているのではないかと言います。
一生で使うエネルギーの量が同じだというのは、どの動物でも大体当てはまるそうなのですが、人間は違っています。人間は、他の生物の一生分のエネルギーを使い切っても、41歳。平均寿命に遠く及びません。とは言っても、縄文時代には人間の寿命は30年くらいで、江戸時代には50年くらいだったそうなので、長い人類の歴史から見ると、現在のように人間の寿命がうんと長くなったのはごく最近のようです。
その理由には、食べ物に困らなくなってきたこと、住む環境が良くなってきたこと、医療が進歩してきたことなどが挙げられると思います。人類が頑張って文明を発展させて来たので、昔より長生きすることができるようになったのですが、一般的に、老いることに対しては、あまり良いイメージがないのではないかと思います。
人間は、生き物としての本来の寿命をはるかに超えて長生きしているので、年を取ると、目が見えにくくなったり、体が動かしにくくなったりして、活動が難しくなってきます。こういったことが、老いにあまり良いイメージがない原因なのではないかと思います。しかし、この本の著者は、年を取ってからしか経験できないことについて語っています。
先程、ゾウとネズミでは時間の感じ方が異なるのではないかというお話をしました。これは、人間の赤ちゃんとお年寄りにも当てはまるそうで、赤ちゃんは沢山エネルギーを使って、早い時間を過ごしますが、お年寄りは、あまりエネルギーを使わずに、ゆっくりとした時間を過ごすらしいです。
年を取ってから時間が早く感じるという方もいらっしゃると思いますが、実際に時間が流れている時に感じる時間と、振り返ってみたときに感じる時間では、感じ方が反対になるそうです。例えば、一生懸命仕事をすると一瞬で時間が過ぎたように感じますが、振り返ってみれば、色々なことをしたので、すごく長い時間が経ったような気がします。
本の著者は、早い時間とゆっくりとした時間は、質的に異なるもので、それぞれ違う経験ができるため、異なる豊かさがあるとしています。だから、年を取って、ゆっくりとした時間を生きることは悪いことではなく、1回の人生の中で、異なる時間の感じ方、異なる経験を味わうことができて、とってもお得なのではないかと書かれています。
さらに著者は、異なる時間の質を味わうためにも、年を取ってきたら、若い頃に家族を養うため忙しく働いて沢山お金を稼いでいたときとは違う価値観を持つことで、より豊かに生きられるのではないかと語っています。早くて便利な世界だけでなく、ゆっくり過ぎる時間を楽しむような生き方ができれば、人生がより豊かになるような気がします。
また、本の中で面白かったのが、循環する時間のお話です。私は普段、時間は真っ直ぐ前に進んでいて、戻ることのないものだと思っています。でも、本の中には、それとは異なる、もう一つの時間が登場します。それが、循環する時間です。
例えば、月は満ちて欠け、また満ちてきます。これは循環しています。人間は、生まれて成長し、老いて死んでいきますが、また新しい子供が生まれて、成長していきます。これも、循環しています。
日本では昔、月を不死の象徴のように捉えていたそうです。不死とは死なないことではなく、死んでもまた蘇るということ、そう考えていたそうです。
人間も、そういう視点で見れば、個体は死んでも命はずっと続いていく、その意味では死なないのだ、本の中にはそう書かれています。
私は、この考え方で、少し気分が楽になりました。自分が死んだとしても、ずっと命は続いていって、終わるわけではないと思ったら、「死んだら全て終わりだ!」という恐怖が和らぐ感じがしたからです。
しかし、たとえ自分の命が続いていくとしても、やはり「私」が死んでなくなってしまうことも事実です。また、親と子は、確かに繋がっているけれど、全然別のもののようにも思えます。だから、私の後にも命が続いていくからといって、「それなら安心、死ぬのは全然怖くない!」と考えることは、今の私にとっては難しいです。
ですが、やっぱり「このまま人類は滅亡する!」と思っていると、私が死んだら、それで全てが終わりになってしまう気がして、死への恐怖は益々強まっていくように思います。だから、本の中に書かれているように、自分の便利さばかり考えず、未来を生きる人たちにどんな環境を残せるかを考えて、生きていけたら良いなと思います。
「私が死んだとしても、人類はこれからも続いていく。」そう思えることは、巡り巡って私の心を豊かにして、死への不安や恐怖を和らげてくれるのではないかと思います。
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