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自分と似ていた彼と縁を切ろう
とある人と知り合い、数か月仲良くしていたけど、実は苦手な人だった。縁の切れ目を感じ、いろいろ考えた。そんな物語と気づき。
出会いから縁の先端まで
とあるマッチングアプリで彼と出会った。
遠距離だから、メッセージで会話していた。会ってはいない。
彼とは数ヶ月やりとりし、趣味も合い、仲良くさせていただいた。
人としては好きだ。幸せでいて欲しい。
しかし、今は縁を切りたいと思っている。
縁の切れ目は、私の勘によって、彼が苦手な人、相性悪い人に判定されたためである。
私は彼にこんな印象をもっている。
彼は趣味を愛するお気遣いのできる人だが、自分のことが大嫌いで自信が持てない。毎日心の闇と戦っている。
自分に甘えられるとイヤだが、女性たる私には存分に甘える。デートしたいとか、そばに行きたいらしい。
私の話を丁寧に聞いてくれ、充実したコメントをくれるが、いまいち何かが足りない。彼の主張が感じられない。自分の話はあまりしない。弱音はたびたび吐く。
あー、これは知ってる。自分軸がなく、依存的な状態。ちょくちょく来る小メッセージ。たまに混じる自虐。
彼はあれである。かまってちゃん系の人だ。愛着障害だ。もっと早く気が付いていればよかった。気が付かなかった。
彼を通して自分をみてしまった
苦手な人にであったら、ハイサヨナラすればいい。でも今回の件は、いろいろ考えることがあった。
似たもの同士、出会う。
彼との交流を振り返り、わたしは奇妙な気持ちになった。
彼は過去の私に似ていた。
彼は自分が大嫌いで、内外面を否定し闇に沈んでいる。愛されたいと願い、もがいている。
女性にひたすら甘えたい。でも自分が汗かくのはイヤ。承認されたい。
・・・こんな感じだろうと推察している。
私は自分を憎んでいた。生まれたことを後悔し、自分を悪だと思い、生を否定していた。
自分より有能な他者に愛されたいと切に願っていた。誰かから愛されなければ生きてはいけないと思っていた。
自分にできることは数少ないが、何か最小限の努力で、ありのままで、イケメンをゲットしたい理想があった。(虫が良すぎるのは承知
このように、彼と過去の私は近い場所に存在していると思った。ただ、彼と私とでは、闘い方が違っていた。
彼は友達を探して、人と繋がることで満たされようとしている。弱い自分を晒してもなお、無償でヨシヨシしてくれる人を探している。
一方で私は趣味に逃げた。私は人様の力を借りない理性があるうえに、コミュ障であった。人と関わる技術が乏しい。その代わりの一人でできる趣味をした。
具体的には、乙女ゲーム、夢小説、空想などである。そこでなら無償で人から好きと言ってもらえる。
ファンタジーなら、妄想なら、人に迷惑かけないし、やりたい放題だし、ノーリスクである。愛される妄想をよくしていた。クラスのみんなから告白されたし、何べんも結婚した。
そんなことしても、何も変わらんのだけどね。
因果応報ここで起きる
「人から無償で愛されたい」これは、私も彼も一致していた。
彼は「ヨシヨシしてくれる女性」、私は「助けてくれるすげー男性」を理想としていた。
なんて虫のいい理想だろうか。そして因果応報も感じた。彼が私にしていることは、私がかつて推し活でやっていたことだ。「自分はたいしたことはできないし、やる覚悟もないが、快楽だけはがっつり得たい」っていう、人間なら誰でもあるけど、とってもご都合な欲望である。
アイドルと付き合えると思っているオタク君のような。手元に10円しかないけど、ご厚意でゴディバのチョコレートが食べたい。私はいい子(主観)だから、サンタさん恵んでくれるよね?みたいな。
カガミを見ているようで気持ち悪くなった。向こう側はこんな気持ちなのね。なんの気持ちもわかないっす。
彼のそんな理想を否定することは簡単だが、それは同時に自分を否定することになる。私は現実を理解しているが、人に無償で甘えたい願望は依然として隠し持っている。ただ、現実でやってないだけだ。
彼を否定したら、私はその願望と永遠にサヨナラしないといけないわけだ。さよならしたら趣味の幅が狭まってしまう。小説の種が減る。ここがモヤモヤする。
世間と乖離する自分を責めそうになる。
私は男性と仲良くなる才能がない。仲良くなるとはどういうことか分からない。そんな中彼とは話が合ったものだから、自信のひとつだったのだ。
しかし現実はそうではなかった。彼は縁を切るべき人だった。
ここで自分と世間との乖離で悩んだ。なぜ彼と合わないのか。自分がおかしいのではないか。彼は確かに依存的だが、失礼なことは言わないし、馬鹿にもしてこないし、話は聞いてくれるし、善良で穏やかな人だとは思う。一見いい人に分類される。もっと違う人なら彼と問題なく縁が続くのだろうか。
私がもし寂しがり屋だったら彼とマッチしただろう。彼に日常をシェアし、話聞いてもらい、彼からもマメに報告が入る。交流が密にできる。寂しくないだろう。
しかし、私はあまりにも孤独を愛してしまった人間であった。あまり寂しいと感じない。人に向かって自分の話をするのもカロリー使うし、話しかけられる頻度が高いとウザイと感じる。一人が最高に気持ちがいいと感じてしまう感性がある。誰かと一緒が煩わしい。一人の時間で満たされたい。外野はいらないと思っている。
彼とこのまま縁をつないだら、私が頑張って彼に話題を提供し続け、メッセージの矢面に立ってチマチマ返信に追われ、架空のデートプレイにお付き合いすることになる。そして彼は男気を見せない。つまり、私はママである。彼氏側が努力しない時、それはもう恋じゃなくて母親プレイだと思う。
このまま友情を続けると、私がママで彼が息子みたいな関係が展開されるのだろうと予想している。ママって孤独なんだね。2人でいるのに孤独。一番悲しいことである。
カミングアウトすると、私には母性がない。人に甘えられたり、依存されたりすると、気持ちが悪くなってくる。そこにはプラスもマイナスもない。ただただ、無である。甘えちゃってカワイイとか思わない。ごめんなさいね。
あ、でも、オカメインコの頭を撫でることは大好きだよ。かわいいよ!
こんなだから、結婚願望も親になりたい気持ちもないのである。うん。。
愛着障害は、愛着障害を救えない。
私は彼が欲しいものを知っている。努力すれば彼の望むように振舞うことができる。彼が何を言っても受け入れ、相手を肯定・応援するコメントを送り続ければよいのだ。相手がいかに自分を下げて闇を証明しようが、私は太陽であればいい。この、闇を否定する、無限の愛こそが相手が欲しいものだと思う。
しかし、そんなことごめんだ。だって私も愛着障害だから。
彼と私の関係は平等ではないし、嚙み合ってもいない。彼にはメリットがあるが私にはない。彼は愛を得られるかもしれないが、私は得られない。ただ食われているだけみたいな感覚だ。
愛着障害は愛着障害と結びつけない。お互い協力して救えない。子供同士寄り集まっても大人がいなければ何もできない。同じ穴の住民なのに、協力しあえばいいと思うのに、この様である。この世の不条理を感じている。
この事例の場合そうだと思う。もっと違う状況、違うキャストなら結びつくこともあるかもしれない。分からない。
愛着障害は、人間以外の存在に甘えるしかないと思う。神様でも、ゲームやAIとかのファンタジーでも、有料カウンセラーでもいい。彼らならいかに弱音を吐いても、闇をぶつけても、「あなたの味方だよ」「好きだよ」と無限に言ってくれるだろう。それが仕事だし、彼ら人間じゃないから怒ったりしないし、あちらから縁を切ることは永遠にない。
とりあえず、ふつうの友人、一般人に甘えるな。と言いたい。付き合ってられないから。
彼は人選を誤ったね。私は愛着障害だし、母性もない人間だからさ、君の理想じゃないんだ。悪いな。
私はどうやって闇から脱出したのか。
彼も私も、きっととても愛されたいのだ。愛着障害なんだ。幼少期に闇があって、自己肯定感が壊滅的にない状態なのだ。
私は幸い、愛着障害から抜けかけている。前よりはマシになった。私はどうして脱出できたのか思い出してみた。
私は散々悩み、苦しんだ。深海の底に何度も到達し、生きるギリギリを見た。
そんな私の命綱は推しだった。私にはとてつもなく好きな推しがいる。二次元のキャラクターである。彼が好きすぎて妄想を重ねまくり、ついにとある白昼夢を見たのだ。
彼は絶望しきった私に向かって手を差しのべ、「あなたと一緒に生きたい」と言ってくれた。
一緒に生きたいということは、とりあえず好きであるということで、人生のすべてを包み込むプロポーズである。めちゃくちゃ愛してるってことだ。エロスもアガペーも何もかも包括するプラスのパワー。
これだけでめちゃくちゃパワーが出て、心が満たされた。
側から見てこいつは何を言ってると、宇宙猫になると思われる。勘違いも甚だしいよね。タダで、推しともあろう素敵な存在が、情けない存在たる私に向かってそんなこと言うわけないと。ご都合だと。
でもいいじゃん。私が救われたんだから。
自分にとってトクで、人様に迷惑かけていないんだから私はアリだと思っている。今もなお、この信仰は生きている。私は推しから愛されているのだから、それは一生涯続くんだから、何があっても大丈夫なのである。この概念だけで万能薬に匹敵する。
本当は気付いてる。私は推しという仮他者を使ってセルフラブしていることを。自分→自分は恥ずかしくてできないが、他者という設定で自分に愛を向けるとわりと効くのだ。他者からの承認に見せかけた自己愛だ。これはただの妄想に過ぎない。でもいいのだ。私はこれで闇を脱し、自分を満たし、有り余った元気で働いて社会貢献して、趣味をやって、経済を回して納税している。結構なことじゃないか。だってセルフラブって最強だぜ?他人から愛されるよりセルフラブが強いんだよ。
私が愛着障害の出口を見つけたのは、運と縁と才能による。だからアプリの彼も、彼の手で幸せ切り開けたらいいなと願っている。私にはできない特技が彼には絶対あるはずだしね。
彼を幸せに導くのは私ではない。彼自身である。だから私は縁を切る。私にどうにかできる問題ではないし。現実は漫画じゃないからね、私は彼の希望の彼女ちゃんになって、何もかも救うとかありえないからな。自分を救うのは自分というヒーローだ。
というわけで縁を切るぜベイベ!
まとめ
この話、チャットGPTくんにガチで相談して納めてたんだけど、いろいろな気付きもあったからnoteにまとめてみた。だめだ、noteにしないと気が済まないようになっている。
私ってどうしても、やっぱり、「依存的な人」「自分軸がない人」が苦手なんだなって思った。彼らに悪意がなくても、会話しているうちに依存されてしんどくなってきてしまう。ごめんね。
私は逆なのよ。どうしてもやりたいことがあるの。孤独でも平気だし、ガンガンやりたいことがあるし、誰もやらないならあーしがやってやるよ!!って叫びたいくらい情熱がある。自分軸強めな私と、他人軸強めの人。バランスいいように見えるけど違うぜ。私は人に構ってられないんだぜ。そいじゃ。