六文銭を握りしめてなんでもない状態になってみるとパワー出るよ
落ち込んでまた死を見つめる段階になっていた。
生きる価値なんかないと思った。
色々考えた。考えて、あることを思い出した。
「六文銭」をご存じだろうか。
六文銭とは、今で言うと300円くらいの価値のお金である。仏教の考え方では、三途の川の通行料の相場がこれくらいなので、葬儀の際に棺に入れることもあるとか。
話はこれだけではない。
この概念用い、戦国時代の真田氏は、これを家紋にした。「俺たちは六文銭を準備してる。いつでも死ぬ準備はバッチリ。なんでもやってやる。かかってこい!」という意気込みである。
ふと、これを思い出したのだ。あと、こちら。
みんなのアイドルももみちゃんの格言である。
「人はいつか死ぬ」これを私はこう解釈している。
「学校は卒業してしまえば、やり残した夏休みの宿題も、テストの赤点も、人間関係もリセットされる。なかったことに近い状態になる」
卒業後に、テストの点数や人間関係が何の役に立つのか。成長の糧になったことは間違いないが、もう再現性はない。
範囲を広げて、人生に適用しても同じ。
亡くなってしまえば、その人のそれまで生きてきた過去なんか消え去ってしまう。うまくいけば美談になるエピソードもあるけど、それ以外の細かいどうでもいいことは、人々から需要がなければ、「なかったこと」と同様になる。坂本龍馬だって、どんなに好きでも調べても、彼の人生の24時間365日を知ることができないのに、凡人なんかもっと需要なんてないし、分からなくなっちゃうに決まっている。
「人はいつか死ぬ」、死んでしまったら、持っていた思い出は過去になって忘れられて、使われることもなく、なかったことになる。凡人であればあるほど。
だから生きてる間に嫌なことがあったとしても、どうせ埋もれていくのでどうでもいいんじゃないか。
なんかわからんけど、新しいパワー出てきた
「どうせ人は死ぬからな」、「明日死んでもイイ」と思うと、生きるのが楽になった。というか、無理して生きなくていい。六文銭を掲げた真田氏みたいに「俺たちは生きても死んでもいないので、なんでもできるんだよね!」ってマインドになった。生きるのはしんどい。けど死んではだめ。じゃあ、その真ん中になるのだ。
「あと30年は働かないといけない。だから逆算して、こんだけ貯金しなきゃ」、「若いうちにキャリアアップしなきゃ」とか思うと、かなりしんどい。毎日なんにもできない。生きるために特段やりたくもないことにエネルギーを使っている状態が辛い。
「どうせ死ぬから好きなことをしよう」と思うと、そういうリミッターが外せて、真に自由になれる。なんでもできるし、失敗しても小さい問題にできる。
死って凄いよね。死を考えると、それ以外のことが全部小さくなってしまう。苦しみから解放されるし、ただのワニの物語が美談になるし(100日後に死ぬワニ)、そのパワーをちらつかせるとなんでもできるような気がしてくる。ふしぎ。死を控えているからこそ、出るパワーがある。それは特別。
どうせ人は死ぬので、死んだら全部なかったことになるので、失敗なんか大したことないよ。だったら好きなことや、やってみたいことをやる。
心に六文銭持ってるとなぜかパワーがでてくるという話でした。私は、歯を食いしばって「生きる」ことをせず、かといって「死に向かいたい」わけでもない。ただ、中途半端でいたい。そこには真田軍がいた。
この概念を考えた真田氏ってすげーな。ちょっと興味わいてきた・・と思うのでした。