創作活動で嫉妬して視野の狭さを知った話
はじめに
この記事は、二次創作活動をする中で、嫉妬して悩み、再起を図るまでの記録である。
そんなことあるよね・・と見守っていただけたら幸いです。
※決してなにかの個人・団体・概念を否定する意図はございません。ただのたわごとです。全部私の中だけの話です。
※いろいろとおかしいですが、そのおかしさは全部自覚しています。
誰が何を好きだろうが関係ないよね。わかる。
事件:担当外の性癖ジャンルに嫉妬する
X上で、大手作家さんがとある作品をリツイートした。
その作品は、私が好きじゃない性癖をふんだんに含む作品。
結果、私は闇落ちした。
気持ちを要約するとこうである。
「私が嫌いなものがみんなから愛されており、それはインフルエンサーもお墨付きであるという事実が悲しい」
→インフルエンサーが愛好しているイコール、世の中の正義で絶対評価的に優れた作品なんだ。自分の作品が否定されているように錯覚してしまった。
そんなことはなく、創作界隈のインフルエンサーはただの一般人でオタクだし、他人が何を愛好しようが私には関係ないし、作品の優劣を決定づけるものでもない。そして、創作作品に優劣はつけてはいけない鉄のルールがあることも知っている。絶対的な価値なんかないよ、そんなん。創作界隈なんかで。
でもスイッチが入ってしまったんだよな。
「私が頑張って作品書いたとしても、社会(大衆、インフルエンサー)には伝わらない」
→今まで多数の作品を書いてきて、ハートも感想ももらってきた。
けど、性癖外ジャンルは相変わらず大人気だし、私が頑張ったところで、そのインフルエンサーの方や大衆をとりこにする力はない。
頑張っても認めてもらえない部分があるってことが悲しかった。
「私が好きなものは結局、王道ではなく楽しい脇道」
→傲慢な考え方だが、私の性癖は、どちらかというと王道に寄ってると思っていた。オタクなら、夢女子なら、こういうの好きだよね?間違いないよね?って。
けどそうじゃない。性癖外ジャンルの方がなんか根強い人気なのである。納得いかなかった。俺が好きじゃないから。(勝手なのは承知)
私が嫉妬するもの
「私が好みじゃないもので、社会から高評価を得ているもの」である。
なんでみんなコレが好きなの?みたいな感じ。
私が心血注いで作った、大好きなカスタード味の大判焼より、いちご飴(私はいちご嫌い)のほうが売り上げが高い、なんで!?という状況。
ここで私は大判焼のほうが大衆受けすると思っている前提がある。
「私が好きなもので、クオリティも高くて、高評価得ているもの」は、構わない。なぜなら、私はその方のファンになれるから。「私そんなの書けない!すげえ!もっと読みたい!」となれる。
しかし、その逆はだめ。自分は好きじゃないもの。それが神扱い。モヤモヤするでござる。自分の醜いところだ。
今までどうしていたか
性癖外のジャンルが存在するのはこの世の摂理である。活動する前から人気なのはもちろん知っていた。今更なんだよって話。
私は、担当ジャンルでやりたいことがたくさんある。それは、性癖外ジャンルにおいては絶対にできない多種多様な世界を内包している。私がたくさん書いて、生み出して、この界隈に彩を添えよう。それが対抗手段だと考えて活動していた。書いて書きまくり、表現世界を広げることで自我を保っていた。
でも人間はもろいもので、いったん決めた信念でも、それを継続するのは難しい。縁がなければ躓いてしまう。不調になる。
私が努力して作った虹色より、性癖外ジャンルの白黒モノトーンの方がなんか強いし、みんな好き。その事実を感じて弱ってしまった。
絶望を分解したら日ごろの不満や野望が出てきた
悩みと向き合う中で考えたこと。
ペンの力だけで人気者になりたかった。社会から愛されたかった
無謀なことを言っているが、これに近い夢を持っていた。
私って結局、みんなから愛されたかったんだと思った。頑張ってユメショ書いて、存在感出して、この界隈でこの人っていうような人間になりたかったんだ。その結果として、大手作家アカウントからの評価や、フォロワーひきつれることや、頻繁に波箱もらうことを夢見ていた。
理想としては、みんなから「あなたの作品最高!」「続きが楽しみ!」「好き」とか絶え間なく言われたい。
けど、現実はちょっと違った。ピクシブでどんなに評価されても、X上では何も起きない。フォロワーはエロアカウントばっかりついてくるし、Xで大手をフォロー、感想をリプライしたところでなんにも起こらない。なぜなら、X上の私は、フォロワーのいない一般人アカウントだから。ただの読者だと思われてるってわけ。
私はX上で作品を投稿していないし、交流も苦手なので壁打ちしてるからこうである。そんなアカウントに視線を向けるほど、大手作家アカウントは暇ではない。
Xでフォロワーを増やすには、また別のスキルが必要である。スペースに参加して発言し、作品読んで感想を送り、愛想を振りまく。普段のツイートは、ファンとして面白い、ためになるような発言をする。美人だとなおよい。タグ付け投稿をして人とつながる。こういう工夫と才能が必要だ。
ご存じの通り、私はコミュ障であるため、交流についてはやる気も技術もない。ただ、仲間に入りたい、という願いをかなえるためにやるには労力が大きいと感じているのでやらない。
今のXアカウントでなにか呟いても、見てくれている人なんか一握り。作家としての私を見守ってくれる人なんか。それに、炎上回避のため、推しの名前は伏せ字にしないといけない不自由さもある。たとえ、作品に関する感想ポストでも、自由につぶやけないのも不満だった。
というわけで、支部でいかに人気を得ても、X上では何にも関係ない。感想もめったに来ないのだ。私が実証した。その抱えていた不満が今回ちょっと爆発したかな。
自分の嗜好=人類の王道だと思ってた。その夢破れた。
自分の性癖は王道だと思っていたけど、界隈から見たら脇道という可能性だ。
私の性癖は人を選ぶという自認はなかった。夢女子なら、乙女ゲームに抵抗がなければ、みんな好きだろうし、私も好きだ、と思っていた。一番にはなれないにせよ、これが王道だし本来の姿だよなと。
しかし、現実そうじゃなかったんだよね。性癖外ジャンルにおいて展開される世界こそが流行りの最先端で、古典で、固定ファンがいっぱいいる。それが流行りなのか、交流の成果なのか、文章力なのか、性癖人気の力なのか知らんけど。
例えると、私は唐揚げを作って提供していると思っていた。世界一の唐揚げではないかもしれないが、みんなこれが一番大好きで、喜んでくれるよね、って。けど、目が覚めたら、私が作っていたものはカキフライで、確かに素晴らしくおいしい料理ではあるが、界隈のイチバンにはなれない品目だったという顛末だ。カキフライは素晴らしい。けど、パーティの主役にはなれないポジションだ。人を選ぶ。そして、パクチーだと思ってた性癖外ジャンルが実は唐揚げであったみたいな。
自分が好きで信じていたものが、みんなが好きじゃないものだって知ったのがショックだった。大衆の好みなんかコントロールできないけどさ。
だって、二次創作という狭い世界の、自分の好みの世界だもん。視野が狭くなるよね。自分の好み=全人類好き と勘違いしてしまうよ。
これについて話せる人は限られているし、私はコミュ障でそんな機会ないしで、勘違いした。仕方がない。
筆の敵はアンチだと思ってた。自分の弱さを実感
今まで、アンチコメントさえこなければ、人間関係でトラブル起きなければ、安定して作家できると思っていた。だから、Xアカウントを作っても人に絡みすぎないことを徹底していた。Xで出る杭にならなければ、安心して生きられると。
けど、それは違った。アンチさえ来なければ安泰?いやいや。アンチや、喧嘩の勃発なんか、ゴジラがやってくるくらいのレアケースである。
支部、Xに登録して、界隈を徘徊し、世の中を眺めているだけで余計なことを考えてしまうリスクがあるのだ。
人の作品に触れたら嫉妬、解釈違いに苦しむかもしれないし、リツイートやリプライ飛ばしあってるのを横目に見て、孤独感増していくこともあるかもしれない。
それは人の平和な何気ない営みであって、悪い意味で捉えてしまうのは、その時ご機嫌が悪い自分のせいであって、まあつまり誰も悪くない。
創作って、趣味の一つで天国で花を植える活動だと思ってた。いいことしかないよねって。
けど、そうじゃない一面もある。人と比較して、数字に惑わされる。常に自分との闘い。毒だけが敵なのではなく、道端の小石が刺さることもある。
創作って辛いな。私世間知らずだったなあ。
「悩みなく創作するには、Xをやめろ」というつもりはない。Xを通して友達作れることもあるし、他人の作品は勉強になる。いいことはある。
創作活動に足を踏み入れた時点で、WEBで無料公開して社会と関わる時点で、人との比較は発生しやすいので、乗り越えていかなければいけないと考えている。
対策
筆は折らない!これからどうしよっかな。
同じような悩みを聞いて勇気をもらった
ヤフー知恵袋や、cremuという創作・同人活動のための掲示板サイト、YouTube、noteで同じトピックを探した。そのどれにも救われた。
特にこのラジオ動画を聞いて癒された。
ズバリな解決策は自分の場合なかったけど、同じような悩み、地雷を抱える状況近い人たちの話を聞くだけで、勇気がもらえた。
界隈によるが、Xで作品や作者を絶賛する感想をつぶやく等、なんの問題もない行いが人を傷つけてしまうこともあると知った。善意からの言葉、何の意味もない明るいフレーズも、人によっては地雷として受け取ってしまう。自分を否定されたと考えてしまうエピソードを知った。
昔の私なら、「なんだめんどくさいな」と思っていたけど、今回は他人事じゃない。ほんとにこれは気持ちがわかる。悪い意味で刺さってしまうんだよね。ほんとにそんな意味じゃないんだけど。
みんな、それぞれの感性・地雷があって、努力して活動している。創作してると体感ぼっちになりがちだけど、こういう場で同じ人の話が聴けるのは嬉しかった。私だけじゃない。みんな頑張ってる、それだけでなんか勇気もらえるのだ。
創作活動って、戦場なんだね。みんな自分の熱い思いと、悪しき本能・人との比較と戦っているんだね。
ほんとうにありがとうという気持ち。すべてに。動画や記事ありがとう。
嫉妬の有効活用
嫉妬自体は自然な感情。人に負の感情を向けていても仕方がないので、そのパワーを活かしましょう。というメッセージを得た。
技術不足なら自己研鑽、嫉妬対象のいいところを見つけて闇落ちしない工夫など。
うーん私、執筆スキルに関しては気にしてないんだよな。私は、自分が読者として楽しみたいから、好きなものを作っている。小説家として神になりたいから書いているのではない。嫉妬はスキル云々からくるものではない。
私は別に、性癖外ジャンルのような作品が書きたいわけじゃない。ランカーになることにも興味ない。特段、マネしたい、取り入れたいことはないかなあ。ただ、書けば一晩で3桁ブクマ超え、インフルエンサーもお気に入り。それだけが気に食わないのだ。ただの性癖の違いそれだけなのに。
嫉妬を有効活用するとしたら、やっぱり「執筆」以外ないよなあ。
勝ち負けとかじゃないけど、本件を乗り越えるには、自分の得意分野でパワープレイするしかない。執筆執筆執筆である。書いて書きまくって、感情と汗を積み重ね、よりいっそう信仰強める。そうすればもっと信念強められるし、作品を産出できる。
だってノー挫折順調で作り出される作品より、汗と涙を込めて書き上げた作品の方がクソデカ感情込められるしクオリティもアガるじゃん。思い出にもなる。たぶん。
この1件を活かして強くなるには、そうしかないのかな。と思った。
だって数字が欲しいわけでも、スキル上げたいわけでもないからなあ。
Xを見るのをやめる。交流をあきらめてこもる。
いままで、作家やる中で葛藤やつぶやきがあれば、Xに投稿していた。
暇さえあれば流れてくるイラストや、大手作家のつぶやきをチェックしていた。けど、もうスッパリやめようと思った。今回みたいに、何気ない事象で傷つくくらいなら、やめたほうがいい。Xは、ただの連絡ツール。構ってもらおうなどと思わないこと。大事だよ。
そもそも私のフォロワーとても少ないし、注目されてるとも思わないので、モチベーション下がっていた。誰からも注目されない。ピクシブから追いかけてくれる読者なんかほとんどいないんだよね。
Xを運用してるメリットがほぼないってことでやめる。
人気の謎を分析する
私は考えた。なぜ性癖外ジャンルは多くのブクマを獲得しているのか?
私とそのジャンルは性癖が大きく異なる。私が人気がでないだろうと思うことをやって、堂々と読者を獲得しているのだ。それが解せない。不明点があるとモヤモヤする。
そこで考えて結論を出した。
「性癖外ジャンルは、私ではカバーできない性癖の読者獲得に成功しているのだ」と。
まあ至極当たり前のことだけど。何かを選べば、何かとお別れすることになる。ポケモンは3匹から1匹選べば、2匹は冒険に出られない。世界の仕組み。
私は、夢小説は糖分が高ければ高いほどイイと思っている。好き好き言われたいし、なるべく距離は縮めたいし、イケメンと話したいし、両想いに導く。R18が最強だと考えている。
対して性癖外ジャンルではそんなことは行われない。無糖傾向であり、気持ちはすれ違い、人として尊重されないこともあり、果てには同意なしで人生のレールを破壊されることもある。
私はそんなジャンルが好きじゃないけど、これがいけるって人が多いかもしれない可能性を考えた。
例えば、「そんなに濃密な恋愛描写はいらない人」とか、「推しにいじめられたい人」、「ストイックな推しが見たい」とか、「物語として、文章として面白い、シチュエーションが好きだからブクマしてる人」とかも多いと思う。そういう人にとっては、私の作品はあまりにもべたべたしすぎだし、お花畑だし、苦手だと思われているかもしれない。
乙女ゲーマーが全員、「ネオロマ」が好きというわけでもないだろう。主語でかく考えすぎてた。
夢小説だからといって、すべてがキャラと濃密に恋愛しなくたっていい。ただの男女の友情でも、バチバチ喧嘩しても、いじめられても、闘っても、なにしたっていい。
私は、夢小説は好きと言ってもらうためのツールだと思ってた。けど、人によって求めているものは違うんだね。
世の中にはたくさんの性癖があったのだ。私はそっちを知らなかったな。
夢小説の持ち味なんて100通りあるんだよ。ブクマ数なんかただの時価。何の証拠にもならないし責任ももたない。そう思いたくなっちゃうけど。
というわけで、「たまたま嗜好する人が多いだけ」、「そこに深い意味はない」の思い込みを徹底することにした。
pixiv徘徊をやめる
以前より日々欠かさなかったpixiv徘徊。これをやめることにした。自分がいけてないのを感じたくないから。
大変失礼な話だが、自分が読みたいものを自分で書くことができる私にとっては、見なくても困ることがないのが現状だ。俺最強だから。だいたい書けるし。見るとしてもフォローしてる好きな作家さんのだけ読めばいい。公で検索しないこと。地雷転がってるから。
結論
この一件で私は学んだ。
身の丈に合わない夢を持っていたこと。
自分が思い上がってたこと。視野の狭さ。
Xで徘徊するなかで不満をためていたこと。
創作作家として世間知らずだったこと。
「他人と比較せず、自分のことに集中する」ことを繰り返しモットーにしてきた。けど、簡単じゃないな。ちょっとしたことで揺らいでしまう。
信念を貫き通すって難しいね!
上塗りや挫折を繰り返して強くなっていくものかもしれない。
頭では分かっているんだけど、心が納得していないので、様々に振り回されている。ブクマ数など評価気にしてないって言っておいて、モヤモヤするし、まだ自分でもよくわかってないかもしれない。
また悩むことがあれど、筆は折らずにいきたいです。この創作という戦場で、私は最後まで走り抜けたい。
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