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なりたい自分ができた
日々のつぶやき。生きる上での葛藤について。心の進捗があったから記録として記す。
過去のトラウマ→自分責め!に飽きた
2024年11月、過去の嫌な思い出がワーッと湧き上がってきては落ち込むという体験をしていた。過去に職場でパワハラ受けたことや、マッチングアプリで失礼な体験をしたこと、会社の飲み会で心が傷ついたことなど思い出し、全部、悪しき自分の魂のせいにしては心で自傷行為する、ということを繰り返していた。
そのせいで気分が悪くなり、献血に行くテンションじゃなくなってしまった。
まあ、コレである ↓
自分をいじめる理由は、幼いころの刷り込みである。親や先生に怒られたときに、子供が悪とされるのは世の理である。私は怒られたとき、必要以上に自分を罰する癖がついていた。思いっきり自分を痛めつけて相手の意見をうのみにすれば、とりあえず親や先生、上司は納得し、開放される時間が早まるのだ。「俺は悪くない!」なんて抵抗したら、「なんだこいつ、ギャオオオオオン!!!」とさらに炎上パラダイスになるだけなんだから。加えて私は演技ができないので、反省してるフリなんかできず、「はい、私が悪いです」と罪を完全に被ることをしていた。そうしないと相手納得しないから。
確かにそれでその場は収まる。反省の色を見せるのは処世術として大切。しかし、でかいデメリットがあった。
私は、自分を守る力が育たずに大人になってしまったのだ。何かトラブルがあれば、何でも自分のせい、精神的リストカットをし、自己肯定感を赤点まで下げることが義務だと思い込んでいた。
今から考えればわかる。別に100パーセント私が悪いなんてない。親や上司の教育不足とかいろんな原因がある。立場が上の人はメンツがあるので、弱者にしわ寄せが来るのは当たり前。真実は違う。よく考えれば私が全部悪いなんておかしいのだ。そして、責任の取り方が、自己肯定感の破壊というのも。
失態は対策を打って改善するのが大切だ。やらかした人を公開処刑することが目的ではない。親や上司が色々とおかしかった。一生懸命𠮟ったかもしれないが、生きる上で適切な責任の取り方というのが、ちゃんと私に届いてなかった。
まあそういうわけで、自分責めが癖になっていた。何かあれば自然に自分の自己肯定感を破壊し、寝てはリセットし、なんとなく生きていた。
でもやっと思った。その生き方、飽きたなって。そんなんじゃ献血に行けないし。辛い苦しいし。ストレスを感じるとヘモグロビン値が下がるんだぞ。
これまでの私について
私の特徴について述べていく。
私は口数が少なく、おとなしそうな印象から「何言っても、お願いしても受け止めてくれそうな人」と他人から見られがちである。
これをやっているメリットとしては、「人から秘密を打ち明けられやすい」点がある。私は普段から口が堅く、自分から話しかけるなどをしないので、私に秘密事項を話したところで、バラされる可能性はないというわけ。「これは秘密なんだけど、ゆーさんには教えるね・・」というやり取りは人生で何度かある。それは正しい。私は誰にもバラさない。友達いないし。あとは道などをよく聞かれたりもする。
さてデメリット。これは要素として大きい。「人から利用されやすい」。
何言っても言い返さなそうと思われて、心無い人から言葉のナイフを受けたり、なめた態度を取られたり、セールスに引っかかったり、まあ、嫌な思いをする。
世の中には、隙あらば人をサンドバックにしてナイフ突き立ててイイと思う人がわりと存在して、私はそういうやつらをホイホイしやすいのだ。だって、抵抗しないし、声は小さいし、素直だから。人の笑顔を奪うことに抵抗がないやつら。まじで理解できん。
付随して地雷のシチュエーションができた。「相手から一方的に自己開示を要求されること」だ。
例えるなら、インタビュー形式。「あなたどこ住み?」とか、「仕事についてあなたの話を何でも聞かせて!」とか。聞き手は自分の話を一切せず、相手にのみマイクを向ける姿勢を取る。私はこれがとても苦手である。なぜなら、その後の会話展開で人格否定される可能性が発生するからである。実際された。
自分のした話が、周りの人に肯定されるかなんか分からないよね。イイネもらえるなんか。その恐怖がある。SNSなら顔は観なくて済むが、リアル会話は相手の反応が分かってしまう。
相手に自己開示する。相手がその情報を受け取った途端、相手はそれを肯定も、否定も、どちらも自由に判定することができる。肯定系はいい、会話として気持ちがいいし、通常はこちらになる。しかし、否定形(批判、無関心を含む)は、こちらに非常にダメージが来る。勇気を出して情報を与えたのに、それを否定されるとかなりしんどい。相手に名刺を渡して、それを目の前で破り捨てられる気持ち。おとなしく素直な私はこれに乗ってしまい、傷ついたことが何度かあった。
信頼できる人は自己開示しても問題がないが、付き合って日の浅い人にこれをやられると、かなりダメージ。これを見極める方法はないだろうか。もうこれになりたくないのだが。会社の飲み会でも、マチアプでもこれをやる人はいる。ああしんどい。オマエラに情報は二度と渡したくない。
相手の反応を気にせず話し続ける人は気にしないかもしれないが、私は会話の発信コストが高いので、これやられるとしんどい。私は相手の反応を気にする。
とまあ、こんな感じです。
私は、自分がこうなのを自分の美点だと思っていた。性善説を取り、なるべく人の役に立とうと真摯に対応して、誰に対してもなるべく笑顔でいること。何かあれば、全部自分のせい、他人を責めないこと。それらを美しいと思っていた。損することはあれど、これはこれで私の強みだからいいかなって。
けど、もうそれはやめようと思った。もう十分だ。長年それで生きてきて、イイコトなんかあまりなかった。ただ、傷つけられやすい自分がいるだけだ。それ以上素敵なことなんかない。このままでいいはずがない。悔しい。新しい自分になりたい。定期的に自分を痛めつけるのはもううんざり。新しい世界に行きたい!
強い私になりたい
自分を傷つけるのはやめる。強い自分になって成長したいと思った。
「こいつになんか言うとめんどくさいことになるな」みたいに他人から思われたい。素直で善良な私から卒業したい。礼儀を尽くすのは、私を大切にする気がある人だけにする。
これからはちゃんと大人として、自分とその周辺を守れるように強くなりたい。そのためにやることを考えた。
(やること)
・自分責めをやめる。自己肯定感を破壊せず、淡々と受け止める。
→内面から強くなる。責めるのをやめて、自己主張できるようにする。
・大きな声で話せるようにする。
→でかい声を発していれば、前よりは威圧できると思った。音読ででかい声を出そう。
・信用できる相手のみ自己開示する。タダで聞かれた質問に真摯に答えないこと。
→とりあえず、出会って日の浅い相手の要求には答えない。自己開示は小さくする。インタビューされたらごまかすか、質問返しする。そんなやつに礼節は尽くしません。
そして何より、辛い過去が沸き起こってきたら、「自分は変われる」「守る価値のある自分である」ことを思って、努力したい!!!音読して声を慣らしていきたい!嫌なやつにいじめられた、自分が悪いんだじゃなくて、反撃の準備をするつもりで、前向きにしたい。
確かに、今まで生きてきた姿勢を変えるのは難しい。結局いつも通りに生きてしまうかも。またいじめられることもあるだろう。けど、人生ってそういうものだよね。失敗を重ねることで強みが身についてくるものだと思う。簡単には手に入らないからこそ、誰にも負けない強さに到達できる。
これからはつらい過去を思い出しても、リベンジのためのトレーニングだと思って、対策にまい進したい。悲しみを前向きな気持ちに変えたい。自分は変われる、自分には価値がある、守るって思ってなんとかしていきたい。
なりたい自分ができた。強い自分になりたい。どんな逆境でも努力で這い上がり、誰かに何言われても跳ね返すヒュッレムのような女性になりたい!!
※ヒュッレムとはオスマン帝国外伝のヒロイン。奴隷から王妃になった人です。