学び続ける大人に
今までの人生の選択で、自分を1つだけ褒めるとしたら。
大学4年生の6月に、「学び続ける大人になろう」と決めて、教職を志したことだろう。
ロストジェネレーションと呼ばれる、就職氷河期世代の私が、すでにもらった企業の内定を放り出して、それまで1ミリも考えていなかった(親の言うままになんとなく教職課程だけは取ってあった)教員の道に。
大学4年生までの私は、バイトと部活と飲み会に明け暮れて、本当に好きな数コマの授業こそ聴いていたものの、ほとんどの授業は出席カードをもらうためだけにそこに座っているような、大学には友達に会いにいって、放課後に部活をやって、バイトに行って、飲みに行って、深夜か明け方に家に帰ってくるような学生だった。
案の定、教育実習に行ったところで、私には国語を高校生に教えるのに必要な知識も技術もなく……。実習先の母校では、シンデレラの継母のようなA先生にいびり倒されて。大学の国語科教育法の授業で、大好きな漢文の谷川先生に、「馳川さん、大事なのは確かな知識ですぞ」と釘を刺されたのを走馬灯のように思い出して、たった2週間ではあったが、無我夢中で勉強して、なんとか最終日を迎えた。
負けず嫌いの反骨精神と瞬発力だけで乗り切るような教育実習だったけど、「そういえば、私、勉強好きだったのにな。」と思う。漠然と「このままじゃ私はダメだな。怠け者の私が勉強し続けるしかない仕事を選ぶとしたら」「教員になろうかな」と決めたのは、6月第2週の土曜、教育実習の最終日が終わった時のこと。その翌週には大学に登校して、ゼミの江本先生に、「企業に就職するのやめます。教員になろうかな、と思って」と言っていた。いちばん信頼する江本先生に、「今のままの馳川さんは通用しないよ。今どき、高校の教員になるなら、大学院出るくらいの専門性はほしいところだね」と言われて、大学院を受けることにした。
今思えば、「そんな甘っちょろいことを言っていないで、そのまま就職したまえ」と先生は思っていたのかもしれないけど、「大学院の受験、今からでも間に合いますかね」と言い出す私を先生は止めなかった。「10月は間に合わない。2月の二次募集を狙いなさい」と言い、ゼミの院生の先輩方に勉強を見てもらいながら、なんとか(本当は受験勉強はぜんぜん間に合っていない、何しろ大学3年間、全く勉強していないようなものなのだから、数ヶ月でなんとかなるはずもないが、先生と先輩に恵まれて)合格をもらい、晴れて(?)大学院生になったのであった。
あの時、先生は本当はどう思っていたんだろうなぁ。
で、なんでこんな話を22年経った今、書いているかと言うと、今、また大学院を受験することを決意したからで、このnoteも、書く練習がしたくて始めることにしたのです。
そして、もう一度、あの時の、私の学びはじめを支えてくれた先生たちにお礼を言いたいと思いました。
江本先生、なんとか今も学び続ける気持ちを失わずに、教員をやっています。そして、天国の石川先生(大学時代は隣のゼミの先生で、大学院時代は研究の内容から石川先生のゼミに移りました)、私が大学院を修了して数年が経って、教員として母校に採用された時(大学の附属である母校なので、つまりは先生と同じ法人の教員になった時)に、「よくぞ採用してくれました!」と何故か採用側を褒めて(笑)、大喜びをしてくれましたね。漢文の谷川先生、怠け者の私をなぜか他所のゼミなのに気にかけてくれて、「馳川さん、自分で勉強することが大切ですよ」と事あるごとに言ってくださいましたね。
あの時は本当にありがとうございました。先生方のおかげで、今もなんとか学ぶ大人であり続けよう、文学の力を信じよう、教育できっと社会をよりよくすることができる、と信じて、新しい挑戦を続けることができています。
これから、本を読んで考えたこと、教育現場での実践での気づきを文章にしていこうと思います。よろしくお付き合いくださいませ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?