レッスンの数日前になって、ぐわーっと練習するピアノ。子どもの頃から変わらないな。 ピアノを弾くとお腹が空く。 今日のランチは、豆苗とツナと大葉のペペロンチーノ。 豆腐は鍋に半分使ったまま、水をあげてニョキニョキ育っていたものを使用。 シンプルだけど、おいしい。 ちょっと鷹の爪入れすぎて、刺激的。
同僚が、リエットを作ったからとお裾分けしてくれた。 ほー、リエット。 家で作れるんだ‥。 40年以上生きてきて、作ろうと思ったことが一度もないことに気づく。 こういうこと、ほかにもあるんだろうな。 店で買うものだ。とか。思い込んでるもの。 自分には縁のないことだ、とか。 思い込みによって、自分の限界を決めてしまっているのかもしれない。 できることを、できるはずがないと無意識に思い込んで、挑戦すらしていないのかもしれない。 のびしろしかないじゃないか。
冬休み、ずーっと誰かといて、飲んでて。 今夜は久しぶりに一人。 さびしい。格別にさびしい。 でも、ご機嫌に酔っぱらい♪
明日から仕事。 あー、やだなぁ。 やだなぁって思う仕事をしてるのか、どんな仕事でもそう思うのか。 長めの冬休み、私は自覚的にぐぅたら過ごした。 これでもかってくらい、寝た。 こんなんじゃ、絶対仕事行きたくなくなるってわかっていたけど、あえてそうした。 きてしまった、この夜が。 みんな、どうやって乗り越えんのかな。 まぁ、これまで20年近くこうやって過ごしてきたんだから、明日も嫌だなって思いながら普通に仕事に行って、何事もなく日常にもどっていくんだろうな。 そんな202
そうそう。今夜は三十代最後の夜だった。
お酒が好き。 ずーっとお酒が好き。 最近、家にいる時間が長くて、ひとりで飲んでも二日酔いになる。 ちびちびのむってできない。 結果、次の日顔パンパン。 今日、職場の人が、最近ウイスキーにハマっているって話をしてた。 寝る前に、ちょっといいウイスキーをストレートでクイっといくらしい。 あぁ、なんかいいな、そういうの。 ウイスキーも好きだけど、最近、クラフトジンにハマってる私。 今夜は冷凍庫でとろっとろになっている「香の森」 https://www.yomeishu.co
今、私は長野県に住んでいる。 そして、長野県は私の故郷でもある。 ただ、車を登録したのが横浜で…。横浜ナンバーなのです。 ここ最近、コロナの影響で、横浜ナンバーの車で出かけることがひじょーに肩身が狭い。 ある市長さんはTwitterで、「首都圏の方、できれば来ないでね」っていう発信をされている。 横浜ナンバーで出歩くことが気まずい。 こんな話を職場の人にしたら、移住してきた同僚みんなが「わかる、わかる!」と。 みんなそう感じてたんだな。 それで、「Live i
去年の4月。地元に帰ってきた。 18歳で離れてから、別の土地での暮らしの方が長くなったけれど、 やっぱりどうしても帰ってきたかった。 私が子どもの頃は中心地だった場所。 新幹線が来て、高速のインターができて、廃れてしまった地元。 でもやっぱり地元がだいすきだから、少しでも元気にしたい、と思う。 そんなことを思いつつも、仕事にだけ一生懸命になって、考えられずに来た。 最近のコロナ騒動の中、仕事も慣れてきて、正直すごく窮屈さを感じてる。 やりたいことをやる、そうい
洗練された、都会的な実践でなくていい。 泥の中を、光を目指して子どもいっしょに掻き分けながら進んでいくような、 そんな泥くさーい実践をしよう。 せっかくそれが許される場所に来たのだから。
恋は止められないけど、愛なら止められるのかな。
今日、気づいちゃったこと。 開眼かもしれない。 わたし、社会人になってずっと雇用されてきたってこと。 ある意味、守られた場所で、ぬくぬくと仕事をしてきたってこと。 今年になって、自分で何か場をつくること、そういう局面に自分を置きたいって改めて強く思っていて。 こういうことってこれまでも何度も思ったけれど、何がしたいかもわからず、それに切羽詰まることもなく、やり過ごしてこれたのって、守られてきたからだなーと気づいてしまった。 だから、一度雇用されていない状態になって
大きな本屋さんに行きたいー
年末年始休みが終わり、今日から仕事。 年末に積み残したことや締め切りに追われている仕事があって、 久しぶりに「仕事行きたくないなー」って感じた朝。 行ってしまえば案外楽しいっていうのはよくある話。 転職して10ヶ月目。 与えられた仕事をこなしていた日々から、必要な仕事をつくっていく日々に。 自分はどれくらい仕事を抱えることができるのか、迷いながら手探りで過ごしてきた。 やっといろんなことに、やってみたいと思った仕事に、すなおに挑戦できるようになってきたような気が
あたらしい一年が始まった。 1月1日。ハッとした。 私、表現することがたりてない。 これまでどういうかたちであれ、私は表現してきた。 それは歌うことだったり、目の前で起きているなにかに参加して場をつくることだったりした。 2019年。全くと言っていいほど、そういう機会がなかった。 つくろうとさえしなかった。 自分の中にとじこもって、ただただ外の情報入れ続けた1年。 価値がなかった、とは思わない。 でも、私らしくはなかった。 インプットとアウトプットのバラン
あたらしいいちねん。たねをまく。まいたたねがたくさんのたねになるまで、たいせつにそだてるいちにねんにしよう。