自分語りで私の謎を解いてみる
こちらの企画に参加しています。
すべての始まりは自分語りだった
そういえば、そもそもの始まりは自分語りだったんだ。みくまゆたんさんの企画を見かけて思い出した。私の執筆活動の始まりは、まさに自分語りエッセイだった。
2019年辺りから『かがみよかがみ』というwebメディアに書くようになったのが始まり。私にとって初めての有償の文章だった。いくつか書いた後、諸事情あって『かがみよかがみ』での執筆から離れたけれど、いろいろな意味で忘れられない時間といえる。
結論を言うと、今の私は自分のコンプレックスについて書く必要がなくなった。それはコンプレックスが消えたのではなくて、コンプレックスや障害特性が小さくなるよう、環境を最適化し続けているからでしかない。
その日々が、私が自分を語る言葉を増やすのに役立った。
私はコミュニケーションが苦手なのではなくて、目的のない雑談、対面コミュニケーションを不得手としている。仕事を介さない交流なんかも苦手。インタビューや打ち合わせなど、目的があって一定の型が存在するなら、お仕事モードで乗り切れる。
私は思った以上に掃除が好きじゃないし得意でもない。食べるのは好きだけど、料理したくなくて、でも最近は好きだ。今は収納にはまりつつある。普段なら理由すら考えなかったあれこれに「何で私はこう考えているんだろう?」と問うきっかけをくれるのが自分語りなのだ。
本当に「ASDの人は他人に興味がない」のか?
そんな磨き上げた自分語りの腕を駆使して(?)、「ASD(自閉スペクトラム症)の人は他人に興味がない」は私に当てはまるのか検証してみようと思う。そう、自分語りは自分の謎解きなのだ。
本題に入る前にここでしっかり自己紹介。私は雁屋優という筆名で医療・科学メインの文筆業を営むフリーランスだ。そして、ASD(自閉スペクトラム症)とうつ病、アルビノ(眼皮膚白皮症)とともに生きる病者でもある。簡単に言えば、アルビノだと思って生きてきたら、ある日ASDとうつ病もあると診断された、いわゆる大人の発達障害である。
昔から「他人に興味がない」「関心がない」と詰られてきた。ASDの診断前からずっと、親を筆頭に周囲の人間に怒られ続けていた。だから、「私は他人に興味がないんだな」と思っていたし、「それの何がいけないの?」と反骨精神を持ってもいた。
実際、大学生まではその認識と齟齬はなかった。大学4年間をともに過ごした同期の男子達の顔や特徴をまともに判別できたことはなかったし、友人と呼んでいる相手の好むものも何一つわからないまま生きていた。アルビノによる視覚障害のせいだと勝手に納得してもらえることもあり、おかげで怒られにくくなったのは怪我の功名だ。
私の興味の謎を解く
そう単純な話ではないかもしれないと気づいたのは、文筆業のフリーランスになってからだ。
『書く仕事をしたい』のなかで、さとゆみさんがインタビュー相手にまったく興味を持てなかったと発言した新人に苦言を呈するシーンがある。そのとき既に何度かインタビューを経験していた私は、自分にそういう経験がないことを不思議に思った。
本当に「他人に興味がない」のなら、インタビュー相手にだって興味を持てないはずだ。だが、インタビューに疲労や緊張を感じても、興味を持てなかった記憶はない。これはどういうことなのだろう?
プライベートでの様子が格段に変わったなんてことはない。相変わらず誰の好みも覚えられないし、相手の考えそうなことも何一つ思いつかない。
興味のきっかけは相手のアウトプット
インタビュー相手にだけ、仕事だから興味を持てるようになった? 興味は義務感で発生しない。それは過去が証明している。では、インタビュー相手とそうでないときで、何が違うのか。
そこまで考えて、興味の有無はインタビュー相手か否かではなく、仕事と関連しているかどうかで決まっていると理解した。インタビュー相手の事業、同業者や近い仕事をしている人の働き方。そういうことには興味津々だった。つまり、私は他人の仕事や成果物など、アウトプットには興味があったのだ。
相手に興味があるか、相手のアウトプットに興味があるか、なんて大した違いではなく思えるかもしれない。実際、私も少し前までそう思っていた。でもそれは案外大きな違いになる。そして、すれ違いを生むこともある。
面倒を避けるためにも、自覚した上で振る舞うといいのかもしれない。私は他人そのものに興味を抱かないけれど、他人の作るものには興味津々なのだ。それなら、文筆業のフリーランスとして問題ない。
あっ、それならいいか。プライベートでは過去にたくさん怒られたけれど、そんなことはもうどうでもいい。私は仕事を頑張る分、プライベートは全力で力を抜いて快適に過ごすと決めたから、仕事に支障がなければ何も気にしなくていい。
気にしなくてもいい、些細なことかもしれない。自分を知ると、少しだけ楽になれる気がする。結局、全部は選べないから、取捨選択なのだ。それなら、何を選んで何を捨てているかを知っておいた方がいい。
そして何より、自分の謎を解き明かせるとすっきりする。
2024年11月6日追記
こちらのnoteでご紹介いただきました! 嬉しい言葉に思わずうるっときてしまいました。