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『僕は死なない子育てをする――発達障害と家族の物語』書評 私の知らない「家族」の話

(2023年9月8日 個人サイト『視界不明瞭』初出)

本書は発達障害であり、ライターであり、そして夫であり、父親である、遠藤光太さんの夫婦の関係性をはじめとした、家族の物語だ。withnewsやハフポスト日本版に掲載された記事を大幅に加筆修正して、完成した本だ。

遠藤さんの連載当時、私自身もwithnewsで書いており、その縁で連載を読んだ。その文章に惹きつけられ、Twitter(現在はX)をフォローし、遠藤さんとさまざまな言葉を交わした。

発達障害当事者という点では遠藤さんと私は近い。けれど、私は、発達障害の診断の後も、「夫婦」や「家族」をやっていこうとした遠藤さんとは大きく考え方が異なる。遠藤さんは自閉スペクトラム症(ASD)と注意欠陥多動性障害(ADHD)の併発で、私はASDのみだが、診断名以上の違いが私達の間にはある。

本書には、私が長年抱えてきた「障害特性でできない、難しいとわかっていることを、なぜやろうとするのか」という疑問への一つの答えがあった。発達障害特性があると、何も工夫をしないでパートナーシップを維持することは困難だ。

私はパートナーシップを望まない人間だが、仮に望んでいたとしても、発達障害の診断が出た時点で諦めていたのは間違いない。障害特性によって難易度が増すパートナーシップの構築、維持諸々をやるほど、私のなかで家庭の優先順位は高くない。

発達障害特性だけではなく、男性や夫や父であることが複合して遠藤さんを追い詰めていく様子を精細に描き出した文章を読みながら、私は心のなかで叫んでいた。「何でそこまでするの、逃げたっていいんだよ」と。死が頭をよぎった際のエピソードでは、私自身にも起こりうる窮地だと感じた。

遠藤さんのように、発達障害とともに生き、家族とあろうと考えるのも、私のように、「障害特性で困難なことは徹底的に避けて、得意を伸ばす」と考えるのも、どちらも間違いではない。私の考え方は自分に合っているし、それは本書を読み終えても変わらない。

しかし、本書を通して、なぜ遠藤さんが「夫婦」や「家族」をやり続けようとしたかは見えた。私はそこに共感はしないが、それでも遠藤さんの考えや感じ方がそこにある事象として、実感を持って手に取れた。

発達障害について書くとき、私は「苦手なことはやめておこう」と言ってしまいがちだ。でも、困難もあるけれど、それでもやりたいことのある人もいるかもしれない。特に、対人関係にまつわることで、困難を小さくしつつ、諦めたくないという方には本書を薦めたい。

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雁屋優
執筆のための資料代にさせていただきます。