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私が自由に病の魅力を語るその日に向けて。

病は常に私の人生についてまわる。生後間もなくアルビノ(眼皮膚白皮症)と診断され、成人後には自閉スペクトラムとうつ病の診断も追加された。日頃の肉体的な痛みがあるわけではないものの、決して健康にはならない心身とともに生きている。

遺伝疾患でもあるアルビノをきっかけに、生物学や医学にのめりこみ、科学や医療について書き、サイエンスコミュニケーションを学んだ。その度に私は相反する思いに揺れてきた。この社会で病者として生きることの不利への怒り、そして病気という事象の魅力を語りたくてたまらなくて溢れるパッション。

前者は少し調べれば誰でもたどりつく事実から納得できるだろうけれど、後者は理解に苦しむかもしれない。病気なんてかからない方がいいに決まっている。でも、それはそれとして、私には病気は魅力的な謎に見える。

物心ついたときから病者であるからか、私にとって病気は己の半身で、切っても切り離せないものだ。病気にかからない一生なんて、私は手に入れられない。しかも、私とともにあるのは現代医療では治らない病気だ。

病気に抗いたくて生物学や医学を学ぶうちに、私は病気が科学的に魅力のある謎だと気づいていった。鎌状赤血球とマラリアへの抵抗性の関連を知ったときは、この謎の魅力に惚れこんだ。人を死に至らしめるはずのものが人を救うこともある。知的好奇心をそそられないわけがなかった。

それなら、約2万分の1と発症頻度の低いアルビノとともにある私は、稀少で魅力的な謎を秘めているといえないだろうか。そう思ったとき、私は初めて自分の病気を純粋に見ることができた。自分が秘める稀少な謎を解き明かしたい。その魅力を語りたい。

そうは言っても、病気の魅力を軽率に語り出すわけにはいかない。病気はたしかに魅力的な謎だけれど、現実に病者として生きるのは社会的に大変不利で痛みや苦しみを伴うことで、そして病気はよくないもの、排除すべきものとする偏見があるからだ。

実はこれらは繋がっている。偏見があるから病気を魅力的な謎として扱いにくく、そうして偏見が強化され、病者の社会的な不利も温存される。だからこそ、私は病者の社会的な不利を解消すると同時に、魅力的かつ偏見を破壊する表現で、新たなイメージを創っていく。

特に経済や情報面での不利益をなくすとともに、病を魅力的に描き出す小説を書き上げる。これはどちらもやらなければならないことだ。

執筆のための資料代にさせていただきます。