他者の理解って、どゆこと??➃
※このシリーズは、他者の理解について、メンヘラ気味のオバさんが、世の中でうまく生きられるようにと、考えを深めていく記事です
※➃は、いくつか続きそうです(いくつかって…(^^;))
前回は、強引な文章でした。すみません。。
もう少し抑えめの熱弁で(^o^;)、ほんわかした文章も目指そうと思います(^―^;)
さて今回は、②のある部分から、話を深めていきたいと思います
もしも
言葉や表情以外に、伝えていること(思い)があるとしたら、どのように伝えているだろう···
もしも
相手さえも気付いていない、相手の伝えたいこと(思い)が、あるとしたら、どうなるだろう···
わたしは勉強していないのですが、上述の感覚が、形而上学と言われるものでしょうか?
違っているかな^^;ははは
言葉や表情以外に伝えていること、そして本人も自覚出来ていないけれど、伝えたいこと
いや〜〜〜、
非常に、理解でき兼ねるものですね
わたしも、これは書かない方がいいのでは?と思ってしまいます
とにかく今のわたしでは、明示出来ないのです( TдT)残念です···
そういう状態ですが
個人的になんとなしに思うことを、書こうと思います
精神疾患は診断のカテゴリー分類の中で、上述的な、どうも因果関係がはっきりしない“類型“という分類が設けられているのでしょうか
わたしなんかは、
この枠を作ってくれていることに、
ちょっとホッとします(^o^;)
人間のまだ観察が及ばない、
現代の構築された感覚では、捉えきれない現象のある種存在を、そっと作ってくれていることに、
社会が、見放さず、いていいよと言ってくれるかのような、有り難さを感じます
重ねますが、わたし個人の勝手な解釈の仕方で、
(勉強不足+知能的にどうも理解できない(TдT))
正当性は保証出来なくて、本当に申し訳ないです
どうも気になる世界(^_^;)
→➃のテーマは語れるのでしょうか···続きます