赤ちゃんのイエスさまに仕える
子供が生まれてから、
「イエスさまも夕方に黄昏泣きをしたのだろうか・・」とか
「イエスさまにもイヤイヤ機があったのかなぁ?
あったんだよなぁ、100%人間でもあるし(・・超可愛い!!)」とか
しょうもない視点が増えた。
今日、家事をしている時に構ってもらえないので腹を立ててぐずる子供を宥めながら、
「この赤ちゃんがイエス様だったら、お世話させてもらってすごい光栄なことなんだけどな」とボーっと考えていた。
その時、「あっ、違う。これって妄想じゃなくて、現実におこっていることなんだ」と思い至った。
私は、紛れもなく目の前にいる赤ちゃんの中に内在しておられるイエス様に仕えている。
『まことに、あなたがたに言います。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、それも最も小さい者たちの一人にしたことは、わたしにしたのです。』(マタイ25・40)
そして、育児が一番辛いと感じた時のことを思い出した。
子供が生まれてから3週目に、「魔の三週目」と言われるぐずり期が一日あった。文字通り、子供は8時間ぐずり続けた後、寝ていった。
泣きたい気分を通り越して、呆然とその寝顔を見ていた。
自分が今後、色々なことを乗り越えて育児をできるイメージが付かず、不安に襲われて祈った。
その時、こんな言葉が来た。
「私に仕えるように子供に仕えなさい」
あぁ、それならできるかもしれないと安心した。
多分、その時一番辛かった理由は、子供と過ごした時間が短く、8時間耐久ぐずりに耐えられるだけのモチベーションがなかったからだ。
みんなに「子供は可愛くて仕方ないでしょ?」と言われても、
(実はそこまででもないんです)と思いつつ「えぇ・・」と薄く微笑むくらいしかできなかった。みんな善意で言ってくださったのだけども。
でも、私のために全部を捨てて下さった、命を下さったイエス様がこの子の中にいると思えば、それだけのことをする納得感があった。(それだけのことでも全然お返しできていないのだけども)
子供は成長し、一緒にいる時間が長くなり、どんどん可愛さを増していった。あの時のぐずり方が嘘だったように、穏やかに過ごす時間も増えて行った。これからも、きっとどんどん愛情がわいてくるんじゃないかとおもう。
でも、いつかイヤイヤ期が来たり、反抗期が来たりした時にこのことを忘れたくなくて、この文章をまとめてみた。