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知的障害者はどちらか

朝の通勤時に特別支援学校の通学バスを見かけます。

停留所で待つ子供たちのその身振りや動作を見ていると彼らが知的障害を持つ子供たちであることは一目瞭然に分かりますが、それ以上に私には付き添いの母親の笑顔が印象的で目に止まります。

彼女たち母親のその笑顔に強さと美しさを感じずにはおれず、特に道路に身を乗り出し不規則に体を動かす子供さんと手をしっかりと繋ぐ母親の笑顔に「私はなんと美しいものを見ているのだろう」と毎朝のように思わされています。

会社までは片道6キロ程の道のりですが、このわずかな道のりに驚くほどの大型バスでしかも2台の車両が同じ路線を並走し、更に別のルートをもう一台、一体どれだけの人数の生徒さんがこの特別支援学校に通学しているのだろうと思わされています。

今朝読んでいた本の中にこのような話が書かれていました。

妻を亡くし父親に育てられている知的障害を持つ子供に対し施設の指導員が一円玉から五百円玉までのそれぞれの硬貨の価値を教えていました。

その子は何度教えてもその硬貨の価値の違いを覚えられず、ある日も、

「この一円玉から五百円玉までのお金の中で一番価値のあるのはどれ?」

と指導員が聞いたところ、その子は

「これ!」

と、10円玉を指差したそうです。

それを聞いた指導員は「何度言ったら分かるの!だからあなたはダメなのよ!」と叱ってしまったそうです。

そこで別の指導員が「なぜ10円玉が一番価値があると思うの?」と聞いたところ、

「だってこのお金をあれに入れると大好きなパパの声がするんだもん!」と答えたそうです。

この子にとっては500円玉より公衆電話で大好きなパパと話せる10円玉の方が比較できないくらい価値あるものだったのでしょう。

周りの指導員の中の一人は「どっちが知的障害者なんたろうか」と言ったそうです。



かくいう私も精神障害や学習障害の二人の子を持つ親です。

私たちは自分が健常者であると信じて疑わず、時に世の障害者とされる人々を偏見の目で見てしまうものです。

ある意味では私たちこそ障害者であり私たちは彼らから大切なことを教えられているのかもしれません。

そしてこのような偏見に満ちた現世にて彼らを支える両親にはどれだけの日常の苦労があるでしょうか。

それを微塵も見せず満面の笑顔で我が子を特別支援学校の通学バスに乗せ見送る母親の姿

これほど強く美しい姿があるでしょうか


知的障害者はどちらでしょうか

教えられているのはどちらでしょう



私たちに必要なのは気づきなのだと改めてそれを思わされます。



・・・



end
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