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火種と抑止

私たちの過ごす日常には火種というものが存在します。

火種とは火を起こすための火となるものですが、この場合の火種とは事件や騒動などが起こる原因となるものを指します。

私の見たところ私の勤める会社にもその火種となる方々が数名いらっしゃり、これまでの私の経験から、彼らはその「きっかけ」を与えるといとも簡単に発火し社内で事件や騒動など揉め事を引き起こすことに繋がります。

更に、こともあろうかそれを発火させようとする第三者がおり、次から次へとその二人に向けてそのきっかけとなるものを投げ続ける様子をこれまで何度も見てきました。

その発火させようとする第三者とは生きている人間だけではなく、もしかしたら時に見えない誰かであったり又は生きている人間を経由して手を出してきたりと様々であるのかもしれません。

ひとたび発火し周りに飛び火してしまった場合に私たちがその火消しをするには様々な手法がありますが、例えば火種となる対象の人間の懐に飛び込み、人間関係の距離を詰め、感情的繋がりからその発火を阻止したり、又は発火させようとそのきっかけを投げてくる第三者を牽制し発火と飛び火を食い止めたりなど。

しかしながらそれら事前の対応を突破され発火し周りに飛び火してしまった場合はどのように対処すれば良いでしょうか。

この場合の発火とは、対象者が怒りに囚われ問題事を起こし、騒ぎ立て、組織内において不和を起こすことなどを意味します。

その場合の対処法は様々であり本記事で端的にまとめられるものでもなく、何事も状況次第でありますから型にはめて話せるようなものでもないように思います。

しかしながら思いますことは、火種となる人物には共通して自己中心的な心があり、そしてそのような彼らを煽り、彼らの火に油を注ぎ、他に飛び火させようとする第三者も同じような種類の人間であることが多いように思います。そしてその騒ぎに巻き込まれ「とばっちり」を受け犠牲となるのは彼らとは逆の誠実に生きる人間であることが多いようにも思います。

火種を他者に投げさせられる人間
そして火種を投げつけられる人間

両者を見ていると、ある共通性に気づきます。

彼らの多くは他者に無関心で我れ良しの自己中心的な者であったり、ズルい者であったり、他者への思いやりなど愛が不足していたりと、きっちりとそのような者が対象とされ、彼らは使われ(操られ火種を他者に投げさせられ)又は攻撃され(他者から火種を投げつけられ)ているかのような様子が見て取れます。

そう考えますと会社などでの火種となる問題社員などはある意味では必然の存在であり、彼らは例えば闇の性質を持つ何らかの力の働きにより使われ、操られ、そして彼らは彼らと同じ性質を持つ人間に対してその鋭く尖った牙を剥いているのかもしれません。

問題社員とはいえども彼らの理論自体は正論であり反論の余地がない論法で固め主張がなされます。そして彼ら自身も「自分は正しい」と信じて疑わないわけですから当然ながらその怒りも激しくなります。

私自身も他者を裁けるような何様かの立場でもありませんが、企業の管理職として事と場合によっては特定の基準に沿って物事の善悪を判断し事態を収める必要があります。

何事も白黒をつけることは難しく、そんな中で私たちはなんとか折り合いをつけながら事を円滑に進めるという日々でありますが、どこにいても火種は常にあり、それが飛び火し周辺に広がるのは「縁」となる「きっかけ」次第であると思います。

その「きっかけ」を先回りしてある程度潰して封じることは出来てもそれには限界があります。なぜならその「きっかけとはイコール人間の未熟さ」というものでもあると思いますため、私たち人間が未熟である限り火種から周りに燃え広がることは避けられないのではないかと私は考えています。

また、因果の道理や自業自得という観点からそもそもそれらを止めるべきではないのかもしれません。


誠実に生きる読者の皆様がそれらに巻き込まれることなく我が身を守りながら日常を過ごせますように。


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end
(本記事は全文無料公開記事です)

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