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美辞麗句と感情的恐喝

「あなたも私が下位の貧しい出自であることに偏見を持っているのですね」


もしその言葉を発する人が私たちの感情に働きかけ相手を脅しているとしたら私たちはそれに気づくことが出来るでしょうか。


「固定概念に囚われず他国に学び互いの存在を尊重し共に学びながら成長することが重要である」


その言葉は正しくもあり最もなことだと思います。しかしながら時にその言葉を発する人が自己の邪な思想を善の仮面で覆い隠しそれを話しているとしたら私たちはその隠された真意に気づくことが出来るでしょうか。


自由、

平等、

公平、

差別、

偏見、

多様性、

尊重、


現代社会では他愛に生きる心ある人間以外にもこれらの言葉は同じく多用されています。


「あなたもやはり私が日本人でないことに偏見を持っているのですか?」

「あなたは多様性を尊重しないのですか?」


仮にもしその言葉が私たちを感情的に恐喝するようなものだとしたら私たちはそれに気づくことが出来るでしょうか。

「他国には日本にはない良いところがあり彼らから学ぶべきことも多い。閉鎖的で排他的な考えに固執せずそれを受け入れ共に学ぶことにより人は進化成長を遂げることが出来るのだ」


これも間違ってはおらずあるべき理想的な姿だと個人的には思いますが、しかしながらそれもまた同様に時によっては邪な心に支配された者たちが使うお決まりの言葉でもあったりするということに私たちは意識を向けることが出来るでしょうか。


独占欲と支配欲に駆られた人間は美辞麗句を並べ立てそれを大義名分にし「我」を覆い隠して善として使う場合があります。

また彼らは心あり思いやりのある誠実で優しい人間の良心を利用しその感情に働きかけ自己の都合良く事を進めようとすることがあります。


弱肉強食の本能に生きる動物でさえ彼らのお腹が一杯で満たされている時は他の動物を襲わず必要な時に必要な分だけしか捕食しませんが人間の我欲には際限はなく、他者を利用し騙してでもその我欲を満たそうとし、それには際限はなく時にそれは夫婦や我が子など身内である家族でさえその対象となることがあります。


自由、 平等、 差別、 偏見、 多様性、 尊重などの言葉

現代の日本ではこれらの言葉を都合良く使い自分たちの獣性を正当化しているような人たちが至るところに存在し、それは国の中央である永田町や霞が関、更に地方行政の長にまで至ります。

近年でも埼玉県川口市などはクルド人の移民が多数住み着き街は無法地帯となり既に一部地域では日本の様相ではなくなっているとの情報が次々と伝わってきています。道路交通法に違反する積荷の積載重量超過、性犯罪や暴力行為など。

小学校では日本語が通じない子どもたちを同じ公教育のクラスで学ばせそれを不公平だと騒ぎ、イスラムの宗教事情に沿って我が子の礼拝の時間のために別の教室を開放せよと要求したりなど様々な問題が起こっていると聞きます。

確かに彼ら民族には歴史的に弾圧され差別を受け生まれ故郷を追いやられてきた悲劇的な歴史があると聞きますが、しかしながらそれはそれ、これはこれ、です。

他国に土足で立ち入るどころか、われこそがルールであるという傍若無人な振る舞いに対して日本側の弱腰の対応にも呆れるばかりです。

日本政府や官僚はあれこれと理由をつけ欲に目がくらんだ経済界と結託し低賃金労働者目当てなど不法移民を増やし続けていますからそのうち他の地域にも同様の事態が広がることでしょう。


美辞麗句、立派らしく聞こえる文言や美しく見える字句には時に邪が潜むことがあります。


「あなた方は囲ってばかりで排他的で閉鎖的だ」

彼らのその言葉や身勝手な行為に動じることなく、そして臆することなく、私たちが相手のその言葉に騙されることなくその裏に潜む邪で身勝手な真意を見抜くことが出来る心眼を持てますように。


「皆が皆そうではない、多くの者が心ある人間であって一部の者を全体としないで欲しい」


そのような言い分もよく聞かれます。ですが、そのようなことは言われずとも当然理解していることでありましてそのような言葉に取り込まれ私たちが流されてしまうことのないように。


世の中には自分が加害者であるにも関わらずいとも簡単に自分を被害者にすり替え、逆に本来は被害者である相手をあたかも加害者であるかのように仕立て上げ相手を責め立てる者がいます。

物事や話の主題、本質のすり替えに対して毅然とした厳しい態度で対応出来る日本でありますように。




・・・




end
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