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課題の分離

困っている人に手を差し伸べたり寄り添うことも優しさのひとつであると思いますが、仏教では「真の優しさとは智慧と慈悲に基づくもの」とされています。

私たちは往々にして他者の課題を自分の課題としてしまいがちですが、たとえ親子でさえそれを他者である自分が背負ってはならず、それぞれの成長と自立のためにそれが誰の問題なのかを明確にしなければなりません。

"本当の優しさとは智慧と慈悲を兼ね備えたもの"として考える時、

「これは一体誰の課題なのか」

「間違った人がその課題を背負っていないか」

それらを考える必要があり、本人以外がその課題を背負うことにより本人も本人以外も両者共に自立出来ないままになってしまうことがあります。

優しさとは、関係が近ければ近いほど複雑になります。

わがままに(自分視点で)見ることなく、あるがまま(客観的)に見る智慧を持ちながら慈悲の心を持って対処することによりその結果自己犠牲に陥ることのなく双方が成長と自立への道を歩むことが出来るのではないでしょうか。

慈悲の心を愛と置き換え、もし与える者がそれにより不幸になるなら与えられる者はその与える者の不幸の上に自身が幸せになることは出来ず、そして真の愛が他者に与えることにより同時に他者からも与えられるものとするなら自己犠牲に基づく優しさは真の愛ではないとなるように思います。

自己犠牲は時に自分の不幸を相手に押し付けることになり相手を幸せにするどころかむしろ相手を不幸にする場合があり、無力な子が母から受ける無償の愛とそれは根本的に異なるものと言えるように思います。


「課題の分離」

困っている人を目の前にした時、それが誰の課題なのかということについて私たちは考えなければなりません。

"優しさとは感情に基づくものだけではなく智慧(物事の筋道)と慈悲(愛)の両面に基づくものであって初めて真の優しさとなる"という仏の教えについて現代の私たちは今一度立ち止まり考える必要があるのではないでしょうか。




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