アリアナ・グランデが怒られる理由「クィア・ベイティング」って何?

アリアナ・グランデが燃えています。「七輪」の件に続き、今度は、新曲『break up with your girlfriend, i'm bored (彼女と別れてよ。私退屈なの)』のビデオの最後で女の子とキス!というのが批判されているのです。

アリアナ・グランデは、兄がゲイであり以前からLGBTフレンドリーな態度で知られています。しかし、自身はストレートであり、特にバイセクシュアルとかクィアではないでしょう。そんなアリアナ・グランデが、彼女自身とそっくりの女の子とキスをするかのような演出は「クィア・ベイティング」=「クィアっぽく見せかけることで、人の興味関心を引こうとする行為」だとして批判を浴びています。

このビデオは、そもそも自己愛を表してて、『thank u, next』ともつながってて…とかそういう解釈で擁護してる人がいるようですが、あのタイトルであのビデオのあの演出であれば明らかにクィア・ベイトであると解釈されてもしかたないですよねー。

ちなみに「ベイト」は餌のこと。もともとは釣りや狩りで、獲物をおびき寄せるためにつける「餌」のことです。興味を引く見出しをつけてクリックさせようとする「釣り見出し」のことを「クリックベイト」といったりするのも、同じ「ベイト」が使われています。

クィア・ベイティングとは

「クィア・ベイティング」のポイントは、「本当はクィアでないのに」クィアぶっている点、そしてそれによって人々の注目を浴びるなどの利益を得ているという点です。

例えば、アリアナ・グランデのビデオが炎上した同じ週末に、グラミー賞で「レズレズしい」ステージを見せたセント・ビンセントについては、彼女がカムアウトしているがゆえに、「クィア・ベイティング」という批判はあまりなされていません。もちろん「女性のセクシャリティの客体化だ〜!」とか他の方向からの批判はいくらでもできると思いますけどね!でも仮にあのステージがセント・ビンセントではなくて、デュア・リパとアリアナであれば、それは当然クィア・ベイティングとして批判されたと思います。二人共クィアではないですし、そして彼らのファンにはクィア当事者がたくさんいるからです。

クィア・ベイティングは実はポップカルチャーにおいてとてもポピュラーな手法です。告発されたポップスターは、アリアナ・グランデが初めてではありません。古くはt.A.T.uとかもそうでしたし、ケイティ・ペリーの『I kissed a girl』などもそうです。

マイリー・サイラスやデミ・ロバートなどもクィア・ベイティングと言われたことがあります。もちろん、マイリーはパンセクシュアル自認であり、デミも自らのセクシュアリティを流動的なものだと表現していますが、実際には過去に女性と関係を持ったことがあるのかはどうかはわかりません。ホールジーなんかは、ケイティやデミのことを「バイぶってる」と批判してます。

男性アイドルでも、例えばハリー・スタイルズやアンドリュー・ガーフィールド、そして、最近は結婚してしまいましたが、ニック・ジョナスなどにもクィア・ベイティングの疑いがかかっていました。

クィア・ベイティングはなぜよくないの?

ツイッターでは「クィア・ベイティング」を「当事者以外がゲイを演じる問題」と混同しているような語りが見受けられました。この二つには共通点もありますが、コンセプトとしては別物です。

クィア・ベイティング」は表現の問題であり、具体的な被害者は一見いないように見えます。問われるのは、表現の中身や質です。クィア・ベイティングが問題になるとき、多くの場合、そこには過度に誘惑的でセクシーなレズビアンやバイセクシュアルっぽいなにかが描かれています。男性だったら、半裸でムキムキなイメージでしょうか。またクィア・ベイティングでほのめかされるクィア性はあくまで「一時的な気の迷い」や「一晩の実験」的なものが多く、リアルなクィアの生活が反映されているわけではありません。アリアナ・グランデのビデオもそうですが、最後に「男を誘惑しているように見えたアリアナがキスしたのは女の子だった!」って非常に手垢のついた「ひとひねり」ですよね。自分のセクシュアリティが表される時に、常に、そういう「質の低い」表象が蔓延している状態というのは当事者にとってはかなりキツいものです。なので、クィア・ベイティングは、「LGBTコミュニティに対して有害だ」と批判されるのです。

このように表現の内容が問われる「クィア・ベイティング」に対して、「当事者以外がゲイを演じる問題」は作品がどんなに上質で素晴らしくても問題が残ります。そういう意味では「ホワイト・ウォッシング」と似ています。例えば、以前スカーレット・ヨハンソンがトランスジェンダー男性役にキャストされて炎上しましたが、仮にそこでできた映画がどんなに素晴らしくても、スカーレット・ヨハンソンをキャストした行為が批判されなくなるわけではない、ということです。作品自体が素晴らしくても、クィアなキャラクターをストレートの役者が演じることで、具体的に活躍の場を奪われてしまたマイノリティが存在するからです。つまり、こちらは「マイノリティの役者やアーティストの労働問題」の意味あいが強いのです。

アリアナ・グランデと「文化の盗用」

さて、アリアナ・グランデはこれらの批判をきちんと受け取ることができるんでしょうかね?

個人的には彼女の「七輪タトゥー」への対応を見ていると、あやしいもんだなと思います。想像ですが「私はLGBTファミリーを愛している」とか「私の弟はゲイで〜」とか言い訳をするのではないでしょうかね。

七輪タトゥーをアリアナ・グランデが入れた時、実はわたし自身は「別にいいんじゃん」と思っていました。文化の盗用とは別に思わなかったのです。でもまあ「七輪って、意味違うし、誰かに聞かなかったのかな?」とは思いました。でも、その後、批判された彼女が「日本語の先生に相談してちょっとマシになった→七輪指♡」になってたりとか、アリアナを擁護するファンが「本当はアリアナは日本が好きで、日本語もずっと学んでて…」とかアリアナが「私は漢字が読めない」とか「文化の盗用と感謝は違う」とかツイッター連投したしたあたりで「うぜえぇええ」と思ったんですよ。

確かに漢字は難しいし、日本語を習い始めたばかりの人が読めないのもしかたないですよ。うっかり間違えたタトゥー入れちゃうのもありだと思います。

でも、本当に日本が好きで、日本文化を尊重しているというならば「やらかした」後に、ちゃんと自分の無知を認めて、きちんと調べて正しい日本語に治そうとするんじゃないのかな?と思ったんですよ。でも「七輪指♡」って……。本当に日本語や日本文化ぎ好きな人が、日本語の先生に相談したとは思えませんでした。そして、「日本が好きだったけど、もうサイトから日本語は消した」とか……。いや、あなたが批判されてるの、そこじゃないじゃん?文化の盗用どころか、本人が主張している文化のappreciationすらできていないじゃん?と思ったわけです。

なので、そんなアリアナ・グランデが、今回のミュージックビデオに向けられたクィア・ベイティングとの批判を理解できるとは思えないんですよね。多分彼女は、感情的に反発してしまうだろうし、下手したら「ゲイの皆のことが好きだったのに、批判されるから、もうレインボーは消した」とか言い出しかねないなと。

ま、アリアナも去年後半から恋人と別れたり、元カノが亡くなったり、グラミー授賞式をめぐるゴタゴタだの、結構精神的に参っていると思うし、好きな曲もあるので、あんまりバッシングはしたくないのですが、どうしても「なんだかな」と思うことが続いたので、書いてみました。

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