「坂口健太郎に似てると」言われて
最近、定期的に「坂口健太郎に似てる」と言われる。
イケメン俳優の中でも特に今をときめく人だから、
そのうち天罰でもくだるのではないかと不安になる。
一方で、このことを話すと、
「似てねーよ!」
「そんなわけねーだろ」
「坂口健太郎見たことあります?」
との手厳しい意見も、当然ながら後をたたない。
ただ、この話をしてみて気が付いたのは、
「坂口健太郎に似ている」と言ってくれる人、
また、その話に賛同してくれる人というのは、
仲の良い人、気の合う人が多いということである。
というより、この話をして間髪入れずに否定する人とは、
自分は気が合わないのだろうなということだ。
ぼくが昔から苦手な人は、相手の意見に対してすぐ
「そんなわけねーだろ」
と言うことが癖になっている人だ。
素直に「どういうこと」と聞けばいいのにと思うのだが、
自分と違う答えになるロジックを組めない人にいつもやられる。
今回のように「坂口健太郎に似ている」という突飛な見解は、
そのわかりやすい例だ。
当然ながら、ぼくが「坂口健太郎に似ている」と言う側の人にも、
造形的に似ていると思っている人など誰もいない。
似ているのは、話すトーンや髪質などの雰囲気であったり、
そんな彼の演じる役のキャラクターであったり、
それら含めて「なんちゃって」で目指すファッションの方向であったり、
そういう意味である。
そして特に、「坂口健太郎に似ている」と言われたことを聞いて、
賛同してくれる人というのは、
「あー、その人たちが坂口健太郎に似てるって言うとしたら、
〇〇とか□□ってことなんじゃない?
だったら、その人達の言いたいことはわからんでもないよ」
という、適度な飛躍をして咀嚼してくれる人たちである。
反対に、即否定をする人達というのは、
「坂口健太郎に似ている」という意見に対して、
「造形的にそっくり」以上の意味の広がりや飛躍の可能性を
持たない、許さない人達ではないかと思う。
似てる似てない論争は典型なのかもしれないが、
こういうすり合わせの余地のない人が、昔からぼくの天敵である。
また、そういう人達が特に高圧的に行きやすい対象がぼくらしく、
ぼく「〇〇選手がこのCMに出てましたよ」
相手「そんなわけねーだろ」
こんな次元の会話から格好の獲物である。
ちなみに、そんなぼく自身が思う「造形的にぼくに似ている人」は誰か。
ギャロップの林氏である。