人と出会う、ということ(3)

帯広選手がきっかけとなり、少しずつ女子プロレスに興味を持つようになってきた2016年。

彼女の所属している「我闘雲舞(ガトームーブ)」は、さくらえみ代表が設立した団体で、他団体との大きな違いは、タイと日本を拠点としているということ。

ムエタイ文化の濃いタイで、プロレスラーになりたい!という志を持つ若者を育成し、タイでプロレスを定着させるという目標を掲げている。
そして、日本でも頻繁に試合が開催されており、メインとなる会場は、通勤経路の途中にある施設だった。灯台もと暗し。

さくらえみ代表も現役の女子プロレスラーで、年齢的にはほぼ自分と同年代(学年的には自分が1年上にはなるが)。
IWA JAPAN、FMWと、'90年代のプロレス業界を代表するインディー団体を渡り歩いた後、複数の団体を立ち上げてきた、行動力の塊のような人物だ。
そのあたりも含め、「どんな試合をしている団体なのだろう?」という興味も湧いてきた。

しかし、その頃から、オフィスの環境が非常に悪くなっていった。

その時々の気分で態度や言動が豹変し、虫の居所が悪いときは、オフィス全体が、声を出すことも憚られるような空気を放つマネージャー。
既に何人ものデザイナーが彼のせいで追い詰められ、辞めていったが、本人にはまるで反省の色はなく「自分に着いて来れなかった奴らの方が悪い」という捉え方をしていた。

クライアントとのトラブルが立て続けに発生し、その度にデザイナーから挙がる不平不満。
中にはデザイナーに落ち度があるものも存在するが、如何せんプライドが高いため、色々な理由をつけ、クライアントが悪いの一点張り。

指示や注文をすべて電話で済まそうとし、しかも電話の頻度が尋常でないため、担当デザイナーが心身ともに参ってしまい、更に「言った・言わない」と揉める結果になり、毎回トラブルになるクライアント。

成果物を納めた後の請求段階に来て、散々値下げ(せめてスムーズに進行していればまだしも、そういう相手に限って、指示や方向性、求める要素がコロコロ変わり、その都度デザイナーの修正がかさむ)を強要するクライアント。

その度にクライアント先へ単身乗り込み、交渉、交渉、また交渉…。
加えて、新規クライアントの開拓も、オフィスで唯一の営業である自分が、たった一人でやらなければならないという重圧。

追い討ちをかけるように、年間目標に届く気配すらない月々の売上。
その度に営業ミーティングで飛ぶ、社長の怒号。

俺…何のために生きているんだろう。

そんな日々が続くうち、身体が拒否反応を示し始めた。
通勤電車から降り、あとは会社へ向かい歩いていくだけなのに、目眩、体の痺れ(特に左腕が顕著だった)、そして極度の緊張感と不安感による吐き気、冷や汗…。

ホーム上にあるベンチへ、倒れ込むように座り、会社の始業時間ギリギリまで、気持ちを落ち着けることが日課になっていった。

そして2016年12月、とうとうその時が来てしまった。

俺、もう駄目だ。
心が苦しくて辛くてたまらない。
体はあちこちに痺れが出て、動くこともままならない。
そして何より、会社どころか、外に出るのすら怖い。
頼む!誰か、いっそのこと殺してくれ!!

…自分の心が壊れた瞬間だった。

かろうじて会社にたどり着き、上司にあたる営業部長(本社にいるので、直接顔を合わす機会はさほどない)へ内線を入れ、うまく言葉がまとめられない状態の頭で、絞り出すように、休職させて欲しい旨を必死に懇願した。

営業部長も事情を察し、休職の手続きについての諸々の指示、そして各所への根回しをしてくれた。
その間に、心療内科で診断書を書いてもらい、会社に提出、逃げるように会社を後にした。

(つづく)

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