宝石みたいなシャインマスカット
すっかり夏から秋の味覚としてお馴染みになったシャインマスカット。例に漏れず私も本当に本当に大好きで、今年も沢山いただいた。
特に知人の農家さんが手掛けていらっしゃるシャインマスカットがもう、もう本当に美味しくて綺麗で、ここ数年ずっとこちらで買うのが楽しみになっている。箱から出し、水で軽く洗い、ガラスの器に盛り付け、一粒ちぎり、そのたびにあまりの美しさに食べる前からいちいちハッとしてしまう。
宝石みたいだ、といつも思う。
何かで知ったのだがプリーナイトという宝石があって、シャインマスカットの姿はもうそのものズバリと言って差し支えないくらいつるんと丸くて透き通っていて、みずみずしい緑色が光に映える。その姿をシャインマスカットという葡萄が得るまでに、どれほどの試行錯誤と努力があるんだろうと思うのだ。
その昔習っていたピアノの先生はすごく厳しかったけれど、生きるにあたって必要な考え方を沢山教えてくださった方だった。思い返せば、とても長い時間をご一緒していたような気がしつつもお世話になっていたのはたったの4年間だった。それでも、今でも折に触れいろいろなことを思い出す。
シャインマスカットのくだりで思い出したことがある。「あなたはまだ原石で、宝石みたいなピアニストになるには、磨かないといけない。楽しみに、ピカピカに磨き上げていくつもりで練習しなさい」と、その先生に言われたことだ。
世に出ている色とりどりの宝石みたいなピアニストさんたちもかつては原石で、当時の私のようにツェルニーも弾きこなせない頃からこうなったのかしらと思ったし、私を原石だと言ってくれたということは磨いていけば宝石になれるという意味なのかもしれないと幼心に随分励みになったことを覚えている。結果として世に出ている素晴らしいものたちの全てが、自分を含める誰かの手によって磨き上げられたものなのだと今でも思う。
シャインマスカットを宝石みたいだ、と思うとき、磨き上げた方がいるんだと、先生の言葉が脳裏をよぎっていつも思いを馳せるのだ。育ててくれた農家さんもそうだし、種を作った方だって途方もない努力がおありだったんだろうなと思う。美しいものをつくる、美味しいものをつくる、そうして誰かを喜ばせるということの難しさを、想う。
パッツパツの皮を歯でパリンと破ると、途端に香り豊かな果肉と果汁が溢れ出てきて、口の中どころか顔の周りまで爽やかな風が吹き抜けるよう。味も食感も楽しくて美しくてすごいな…と思いながら、大事に食べるつもりがどんどん食べてしまって最後は名残惜しく、なんならそれもまたよし。今年も秋の宝石をありがとうございました。
シャインマスカット、大好き。
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