モラ「でも、打たれ強くなったんじゃない?」
私「強く言われるのいやだ。こわい」
モラ「そうだね、自分でも強く言ってると思う」
私「……」
モラ「でも、打たれ強くなったんじゃない?
精神的に強くなれたことはよかったことかもよ」
である。
ふざけてんのかって感想以外なにもない。
こいつが本気でそう思っていたのだとしたら
とんでもない思考回路だなと思う。
モラハラ被害の全貌は、モラ本人や
知識のない第三者にはわからないものだ。
たたきのめされて復活する人間が強いかというと、
端から見てすぐ立ち上がった人間の実情はそうではない。
無理をして血まみれの内蔵を隠しているか
自分でも望まぬ攻撃性を身につけて
立ち上がるよりほかなかった者たちである可能性が高い。
後者は被害者の加害者化によって
モラハラ予備軍となってしまう人たちである。
たいがいの被害者は立ち上がることができないか、
立ち上がってもすぐにくじけ、
また立ち上がろうともがくことになる。
モラハラを受けたからって精神は強くならない。
それどころかその後の人生に立ちこめる暗雲の出所となる。
自分の行為を正当化したい加害者の主張は
第三者にとっては一理あるものと映るかもしれない。
だが、被害者にとってそれが正しいことなどない。
歪んだ生育環境だったらどこかしら歪むのが普通で、
その中でもまっすぐ育つのはごく少数である。
非行に走る子も大勢いる。
それを思えば、大人だって同じではないか。
人間の根本は大して変わらない。
子どもが歪むようなことで大人も歪むこともある。
知識があり、その知識をたよりに防衛することができても
長らく手ひどいことをされ続ければ精神は病むのだ。
「でも、打たれ強くなったんじゃない?」
……勘違いも甚だしい。
こんなだから平気で人格否定ができるのだなと
思わないではいられない。
人は死ぬときに、人に親切にしたか? と聞かれるらしい。
これは有名な話だが続きがあって、
走馬灯のような感じで他人にしてしまったことを
相手目線で全て追体験するらしい。
そこで初めて、相手の立場からその苦痛を味わうのだとか。
暴言、人格否定、罪悪感の植え付け。
束縛やコントロールによって壊れた人間関係からくる苦痛、
尾を引く罪悪感と自己否定、さまざまな後遺症。
全て味わうがいい。
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